平成二十六年九月二十七日、うち大神社建立。

 

 udj-zenkai.jpg

  楽団総鎮守 うち大神社(UDJ)が建立されました。

 

 夢破れて神社あり。

 楽団うちの大学結成の原点でもあり、1999年吹奏楽部・合唱部男子部員から成る「硬派99世代」。その15周年を祝う記念祭で、楽団の全体成長路線(01年8月〜13年8月)の封印および鎮魂と、新楽団の発展・諸願成就を祈念する楽団総鎮守「うち大神社」拝殿が建立されました。「鎮魂」とは、一般的には弔うための言葉と解釈されていますが、本来は「活力を与える・復活を促す・甦る・悪影響をもたらすものを払拭する」などの総ての好転的な意味を持つそうです。

 「だれにもちょうどいい楽団」を理想とし、「発展的分離・円満分割」で再出発した2013年夏。しかしこの方針は、当時決める立場の楽団員(楽団員からの合議体) による決定手段での「楽団員の総意」ではありませんでした。こうした経緯を含め、「発展的分離・円満分割」についての認識や評価は分かれ、この出発点自体が揺らぎがちになります。

 そこで、それまで(13年8月まで)の楽団全体を「代表者集団(運営陣)」と「仕組み」によって動かす「成長路線」の終焉、その後(2013年8月から)の活動現場の全員が主人公で「仲良し」「楽しむ」を基礎と目的とする楽団への転換の象徴・節目として、うち大神社が建立されました。

 毎年夏になると各方面から注目される神社のように - - -

 楽団内外の様々な人々から愛されたり批判を受けながら、それを「笑い」の醍醐味とするうち大神社はあり続けます。

  

 うち大神社成立の経緯はこちらから →  

 

 神社建物のご紹介

 所在地(聖地)

 うち大神社はうち大にとって聖地である「西コミ」で建立され、岩室温泉で初の御開帳が行われました。最終定着地は02003さんのご実家の離れで、吉日奉納式による着座を予定していますが、実は…現在うち大神社は行きどころがありません。そこで「神社遷宮(レンタル)サービス」、仮御所として引き取っていただける方には、拝殿ごと「神パック」で発送いたします。

 

 本殿

 楽団うちの大学はかねてから「心のキャンパス」を提唱しており、UDJでは本殿は楽団を愛する全ての人々の心にあるという立場であり、具体的な建造物での奉納はしておりません。うそ、資金と時間とネタ不足です。

 

 udj-zenhei.jpg udj-zenkai.jpg

 拝殿(はいでん)

 うち大神社拝殿は総桧造り、いいにおいです。向かって右側に「左殿(さでん)」、向かって左側に「右殿(うでん)」、中央に「央殿(おでん)」、の三連櫓構造となっています。英語表記では、「Yes-Den」です。

 

 央殿(おでん)

 央殿の奉物は未定、奉納日まで検討中です。ちくわとはんぺんでも入れておきましょうか。現在、撮影用にムサシで購入した258円のステンレス鏡(三種の神器)が納められています。

 

 左殿・右殿(さでん・うでん)

 左殿・右殿は各六御神室・左右計十二の御神室を設けています(「99世代」当時使用の男子ロッカー[上3・下3の6人用二段式ロッカー]を踏襲)。左殿(向かって右)上段右に2001年(第1期)、同下段右に2002年(第2期)、同上段中央に2003年(第3期)と続き、右殿(向かって左)下段左の2012年(第12期)で結びます。各御神室にはUDJ建立委員会が選出する当該期当時に活躍した楽団員等が御神体(人形)として具現化され、御神として鎮座しています。全十二御神室ご開帳で、昔のテレビ番組「電波少年的ペナントレース」みたいですね。

 

 御神のご紹介

udj-mikami.jpg

 各御神室には、「2001年、楽団うちの大学結成」や「2011年に創立10周年」などの周知の歴史のほかに、当時のうち大の苦悩や喜び、笑い、出来事などが「御神」=御神体(人形)として納められています。

 楽団うちの大学は、2013年7月まで入学した全132名の楽団員が、世代と時間を越えて受け継いできました。「132名のうち、1人でも欠けたらうち大の今日は成立していない」などと暑苦しい道徳の教科書のようなことは言いませんが、少なくとも132名がそれぞれの時代で楽団うちの大学を彩ったことは確かなことです。

 全132名から選びきれないほどにたくさんの御神にふさわしいモデル楽団員がいるのですが、その中でもUDJ建立委員会から勝手に御神にされてもきっとお怒りにならない(バチを与えない)であろう12名を選出しました。「神にされて迷惑千万」等の神様がおられましたら、UDJへどうぞ(バチは与えないで下さい)。

 

 平成一三年(2001年・第1期)

 三掛六列尊(さんかけろくれつそん)

 udj-01.jpg

 御神体モデル   01017さん

 2001年は、ここであらためて言うまでも無く「楽団元年」です。「三掛六列」の由来は、結成活動となった2001年8月20日の古町パレード。出場楽団員(結成メンバー)は18名。その18名でパレード隊列をつくるので、3人×6列=18人隊列でした([現在調査中]正確には、DM(ドラムメジャー)1名は独立し、また楽器種別の隊列編成なので3人(および2名)×7(8)列だったかも知れません)。

 udj-01fp.jpg(大人の事情により、画像は縮小して掲載しています)

 もちろん同パレードの出場バンドでは最少編成、おそらく10年以上続いた古町パレードの出場団体でも史上最少編成でした。そんな18名のうち、7名の西高現役生を率いてうちの大学に合流したのが01017さん。翌年の同パレードではDMを務めた01017さんの御神体はメジャーバトン(UDJ特製)を持っています。余談ですが、その後数々の有形物を製作してきたうち大なので、当時本物(実物大)のメジャーバトンを作っていればよかったなぁと思います。

 

 平成一四年(2002年・第2期)

 上新町浜美化守護神(かみしんまちはまびかしゅごしん)

 udj-02.jpg

 御神体モデル   01006さん

 2002年は、前年に続き奏者確保に苦戦しつつも何とか2年連続古町パレード出場達成(26名編成)。「せっかく楽団やるなら、いろいろやろう」という99世代を中心とした気合いの下、新津石油の里遠足や上新町浜清掃を実施しました。すべては「達成感」を得るために。この度のうち大神社建立のように、現在にまで残る楽団のサブカルチャー(演奏だけでない活動=装飾文化)はここから始まりました。

 1999年の通称「激録」(テレビ番組「警視庁密着激録24時」に由来=部活後、「海セット」を持って浜辺で夜明かし)の網引き漁お手伝いに起源する海岸清掃活動は04年まで続きますが、この02年を最後に上新町浜の砂浜が消滅して海岸閉鎖、翌03年からは四ツ郷屋浜、04年内野浜と清掃箇所は移動します。御神の01006さんはその全ての清掃活動に参加、(意外な?)持ち前の器用さでゴミ完全収集を成し遂げます。その完璧主義?からの器用さは、後の単位バッジ製作やシール切抜き120枚でも大いに発揮されます。

 ↓今となってはかなり貴重になった上新町浜・砂浜の画像↓

udj-ks.jpg udj-ks2.jpg(大人の事情により、画像は縮小して掲載しています)

(清掃活動後日・電話)

 うち大「もしもし、清掃局ですか?勝手に○○浜を清掃したんですが、ゴミをまとめてあるので収集に行ってもらえますか?」

 清掃局「・・・」

  - - - こんな電話が毎夏続きました。

 

 平成一五年(2003年・第3期)

 昼試合大御神(ひるじあいおおみかみ)

 udj-03.jpg

 御神体モデル   04002さん

 2003年に初出場した地元内野町の内野まつりバンドフェスティバル。この足掛かりになったのが、03年3月に西高で開催されたうちの大学祭。この学祭で挑戦(所見大会)した楽曲は、愛媛松山から直輸入・東京ユニオンさんの伝説のナンバー「源氏」。うち大の歴史の中でおそらく最初で最後であろう、各教室に分かれてパート練習、そして全体合奏のいわゆる「Tutti(トゥッティ)」、本当の楽団のようでした。当時西高を卒業したばかりの04002さん(御神)は、有名大学の芸術学部(音楽専攻)に進学する直前であり、この「源氏」練習でも独自のセンスと才能で手腕を揮います。また、この学祭のミーティングで「うちの大学に校歌が欲しい」という要望にいちはやく応えたのが04002さんです。

udj-pos03.jpg

 たくさんの楽団員から即日入学を切望された04002さんではありますが、この学祭は単位設定が無かったため記録参加の扱い。1年後の04年の古町パレードで入学が実現します。そして音楽監督02003さんとの名コンビ「UKプロデュース」は、その後のうち大音楽の基礎を支えることになります。

udj-um03.jpg

 「内野まつり うちの大学 バカテク」で検索どうぞ。

 「昼試合大御神」とは、このうちの大学祭第2部で開催された寺キャン(寺尾キャンパス)鍋大会で、01006さんが04002さんの顔に落書き(目の下を黒く塗る)した「デイゲームの野球選手」に由来しています。[画像掲載交渉中]

 

 平成一六年(2004年・第4期)

 御願達達此達(おねがいたっちたっちここにたっち)

 udj-04.jpg

 御神体モデル   04003さん

 2004年の古町パレードでは、01019学長の十八番「北酒場」で古町を歩きました。吹連役員として毎年古町メイン交差点に立っていた学長は、01年18人編成パレード、02年校旗(旗手)先導パレード、03年にはオリジナルユニフォーム統一でパレード、そして04年は演歌でパレードと様々な技を毎年繰り出すうち大マーチングに毎回驚き、沿道のお客さんから「ここはどこの大学らね?」と尋ねられて喜色盤面でうち大の由来を説明していると、学長として何とも誇らしい気持ちになったと懐古します。

udj-pos04.jpg

 そんなうち大の「やっちゃえ方針」は、この年の内野まつり駅前コンサートでの名曲「タッチ」でも大いに発揮されます。過去にも他にも数々演奏されている同じ楽譜なのに、なぜこんなに聴衆にウケるのか、それは奏者の雰囲気が楽しそうだからには間違いありませんが、具体的に楽譜に記載されていないことを勝手にやってしまう(マレットで空振り三振・バットの快音「カキーン!」を口で叫ぶ、「南は達ちゃんのことは全てお見通しなんだぞ」というセリフが入る、など)のも理由のようです。

 当時増え始めた「非西高出身楽団員」 。元々西高吹奏楽部OB・OGバンドから出発した楽団として、西高出身楽団員の中にはこの状況に対して異を唱える楽団員もいましたが、御神の04003さんは諸手をあげて全ての新楽団員を迎え入れました。また、当時はうち大を「語る」ことに楽団全体がまだ恥じらいや照れくささがあった頃、そんな雰囲気の中で04003さんは「うち大って本当に楽しい」と公言した最初の楽団員です(UDJ認定)。

 

 平成一七年(2005年・第5期)

 九六寄書伝使(きゅうろくよせがきでんし)

 udj-05.jpg

 御神体モデル   03019さん

 御神の03019さんは、この年の古町パレードのDM(ドラムメジャー)。例年の猛暑に加え、開始前の待機時間が長かったりパレード途中の中断区間があったり、とにかく大変なパレードでした。

 前年までの第3代DM03004さんと第4代DMの03019さんがその打ち上げの席上で、

 「今年はパレードの時間が長くてすごく大変だったでしょ」

 「でも毎年あの距離を最後まで(メジャーバトンを)きれいに振ってた先輩は、すごいです」

との会話。うち大のDMは、(西高からの借用ではありますが)バトンだけでなくその心意気も受け継いでいたようです。そのバトンは翌年、03019さんから再び03004さんに受け継がれ、いまも色褪せない大迫力「2006年、宇宙戦艦ヤマト大パレード」へ続きます。

udj-pos05.jpg

 この期(06年3月)には西高の恩師矢澤先生へ、うち大をはじめとする西高合唱部・吹奏楽部OB・OG他96名で作成した「96人よせがき」が贈られました(九六寄書伝使)。

udj-yaza.jpg udj-yaza2.jpg

 

 平成一八年(2006年・第6期)

 古町盛上命[宙守尊](ふるまちもりあげのみこと[そらのすみこと])

 udj-06.jpg

 御神体モデル   03002さん

 2006年は「古町」の年でした。古町パレードは準備参加者募集で例年よりさらに難航を極め、当時楽団を引率していた「引率チーム」は頭を抱えていました。そんな折、究極の打開策として打ち出されたのは「ボーダー制」。これは参加予定者1名・参加保留者1名を各数値化し、予め設定しているポイントに満たない場合は活動(出場)自体を断念するというもの。その結果は、37名の大パレードで大成功。

 「古町パレードに出よう!」を合言葉に引率チーム員はもちろん、出場を目指す全楽団員が新旧奏者に細かく声掛け、あえて自らに課したボーダー(ノルマ)という試練を乗り越えました。またこのパレードでは各楽団員のニックネームと座右の銘が入ったユニフォームを着用。多種多様(彩)の楽団員が集い、それぞれの立場からそれぞれの関わり、まさに全員全力で成し遂げた古町パレードでした。前年の反省項目である「全員全力」が、1年を経てここに実現しました。

 udj-06fp.jpg(大人の事情により、画像は縮小して掲載しています)

 勢いそのままに、「自分で制作した楽曲で古町を盛り上げたい人大募集」をコンセプトとする第2回古町音楽祭にエントリー。本選ではロックやフォークなど1〜5人のバンドが集まる中、およそ“場違い”の21名の大バンドでオリジナル曲「エガオフルマチ」を披露。この音楽祭、「古町を盛り上げたい」の他に「メジャーデビューバンド(プレイヤー)を発掘」という目的があったようで、「古町を盛り上げたい」の一心でエントリーしたうち大は、楽団史上最大の勘違い(場違い)を犯してしまったのでした。ちなみにその翌年から、ラジオでの音楽祭のエントリー募集CMでは際立って「メジャーデビューを目指す方は…」という文言が強調されていました(古町盛上命)。

udj-pos06.jpg

 この年の古町パレードで宇宙戦艦ヤマトとうち大行進隊の象徴・船長帽子をかぶっていたのが御神の03002さん。秋、西コミ練習に差し入れてくれた手作りのクッキー。いま、遠くにいても、楽団を離れても、笑顔が咲かなくても、過去にうち大で活動した全ての楽団員とその時間は、永久に不朽の楽団の宝物です。

 楽団うちの大学はいつまでも心にあり続けます、宙のあなたと一緒に。

 

  平成一九年(2007年・第7期)

 山彦乃主(やまびこのぬし)

 udj-07.jpg

 御神体モデル   とーるちゃんさん(非楽団員)

 2007年は、初めて活動範囲を新潟市外へ飛び出した長岡披露宴演奏から始まりました。すっかり秋の恒例活動・内野まつりバンドフェスティバルでは県内で活躍するボーカリストを楽団員として招聘し、内野町をテーマにしたオリジナル曲第2弾「きみとうちのそら」を初演しました。

 この内野駅前で行われるコンサートは、以前は午後開催・雨が降った場合は屋根のある内野駅構内(改札内のホーム)がステージになったのですが、この頃になると明確に「雨天なら中止」と予告されました。もし雨が降った場合、準備の全てが水の泡…、そんな心配(演奏舞台の喪失)の「保険」として、この秋は内野まつり演奏後に母校・西高音楽室でのコンサートを組み込みました(半ば強引に、「演奏させてください!」と頼み込む)。

udj-07um.jpg udj-11um2.jpg(大人の事情により、画像は縮小して掲載しています)

 天候が心配された当日は、夏が戻ってきたかのような大快晴!青空の下、新しい楽団ハッピとフロントセクション譜面台で内野駅前を真っ青に染めました。内野町は楽団そして西高の地元であるため、お客さんの中にはかつて共に音楽を奏でた西高同志の姿も。うれしい再会の勢いそのままに、その同志を引っ張り出して飛び入りで西高音楽室での凱旋(?)演奏に参加させるという荒技もやってしまうのがうちの大学でした。

udj-pos07.jpg

 御神のとーるちゃんさんは西高時代からお世話になっている合宿所のご主人。オリジナル曲「きみとうちのそら」もこの合宿地で生まれました。扇風機、いびき、スピーカー、西高もうち大も、大変お世話になりました。

 

  平成二〇年(2008年・第8期)

 udj-08.jpg

 吹辺駆闘羅武(すぺくとらむ)

 御神体モデル  TPにったさん(非楽団員)×けんだんさん(非楽団員)

 2008年は、伝説のロックブラスバンド・SPECTRUM(スペクトラム)さんのナンバーと共に語られます。楽団内には、いずれ演奏曲になるからと、楽団員へSPECTRUMさん関係の動画のYouTube閲覧が推奨されました。新潟県を中心にSPECTRUMさん関係動画の再生回数が飛躍的に伸びたと推測されます。

udj-pos08.jpg

 内野まつりでは、その代表的な1曲である「SUNRISE」を演奏。06年頃から内野まつり本番前は黒埼の河川敷での早朝練習が恒例になっていました。早朝6時から大爆音でSUNRISE(=プロレス、スタンハンセン氏の入場テーマ)を爆奏・爆唱する不思議な楽団…犬の散歩やジョギングする人々も足を止めてこの異様な楽団を遠巻きに眺めるのでありました。そんな聴き人・初老の男性に楽団シール(本番で配布するステッカーキャンペーン用シール)を持って声をかけてみると、意外な一言が帰ってきました。「型破りを目指すなら、徹底的にやらなくちゃ」と。この初老の男性は、うち大を「型破り」としながらも、どこか成り切れない「迷い」を見破ったのでしょうか。余談ですが、ブラスロックという一時代を築き、数々の楽曲や奇抜な衣装と過激なパフォーマンスでそれまでの優等生の象徴=吹奏楽界そして音楽界に風穴を開けた先駆者SPECTRUMさん、(比較するのもおこがましいですが)何かを超えなければならない楽団うちの大学、そしてSUNRISE。いえ、超えて 4RISE(ヨンライズ)。楽団の夜明けです。

  御神はSPECTRUMのトランペット・新田一郎さんと、この期を語るに外せない活動・音楽結婚式での主役けんだんさんの融合御神です。

 

 平成二一年(2009年・第9期)

 快適明王(かいてきみょうおう)

 udj-09.jpg

 御神体モデル  01012さん

 2009年は一昨年完成・初演を行ったオリジナル曲「きみとうちのそら」他2曲を収録した「きみとうちのそら」アルバムを発売しました。製作当初は楽団制作楽曲集「うたのよつかど」(=内野メイン交差点「内野四ツ角」から)として制作・販売予定でしたが、編集時間と演奏楽曲の関係で3曲収録になりました。しかし、内野駅前(まつり)でのCDの売れ行きは好調。具体的な売り上げ枚数は記録にありませんが、当日用意分が完売しました。おまけに「さっき演奏した演歌は入っているの?」(=演歌「不意討ちの内野惜別」)との質問までいただきました(「不意討ち〜」は現在お蔵入り)。

udj-pos09.jpg

 快適学生認定制度が開始したのはこの第9期から。外部からの演奏依頼や独自出演が増え始めたこの頃、正直、楽団内の「ゴタゴタ」に費やしている時間はありませんでした。この制度の特徴である最大目的は「(みんなができることが)できない楽団員をできる楽団員にする」ではなく、「(みんなができることが)できない楽団員に、楽団全体がとらわれないようにする」もの。その結果、活動やその前後における一部の非協力はおおむね解消するに至ります。中には真面目が過ぎて、制度運用側でありながら自らを不快(非快適)活動と処理してしまう楽団員まで、それが御神の01012さんです。

 この年から3、4年後に迎える成長路線の末期には主流になりつつあった終末的極論、「だれもいなくなっちゃう」のいわゆる魔法の言葉(結果の個人帰責)。01012さんはその最初の使い主でありながら当時の成長路線には積極的な立場など、独自の感覚と柔軟性を持ち合わせていました。ある意味では魔法の言葉どおりの楽団を実現した今日にあって、また楽団結成の第1期から一度も離脱することなく楽団に関わってきた唯一の楽団員として、今後ますますの活躍が期待される御神です。

  

 平成二二年(2010年・第10期)

 スゲージャン羅場炊(すげーじゃんらばたき)

 udj-10.jpg

 御神体モデル  02001さん

 楽団に既婚者が増える「ウェディングイヤー」が到来しました。春にはうち大の有志バンドで楽団員夫妻への記念曲「ほほえみつなげて」を動画楽曲で贈呈したり、これまた有志即席バンド「ホット・エイト」がある楽団員の披露宴会場を祝賀占拠するなど、春先から慶事活動が続きます。「ホット・エイト」で、楽団員である新郎さんが余興に選んだ曲は、東京スカパラダイスオーケストラさんの「A Quick Drunkard」。ホット・エイトメンバー、「え!楽器を吹くだけじゃなくて、歌うの?」「英語じゃん!」「俺、英検5級だし」「俺も」… 動揺するメンバー。しかしホット・エイト8人(実際は9人くらいいたらしい)寄れば文殊の知恵とやら、英文歌詞を全文ひらがなにして、一曲丸ごとそれっぽく聞こえる「空耳アワー」でつなげてリメイク完成。その結びは「スゲージャン羅場炊(らばたき)」=原文「and speed up love and drinkin'」 =「そして愛と飲料は速度を上げる」、らしいです(英検5級的解釈)。

udj-pos10.jpg

 そんな「スゲージャン」な2010年の代表的な出来事は、クラリネット3重奏チーム「アンサンブルGJ」がアンコン初出場・西関東大会銀賞受賞。楽団が、演奏に、受賞に、そして満開の笑顔に輝いた瞬間でした。その2010年の御神は02001さん。奏者として高校生から大学生、そして社会人としてうちの大学で過ごし、その人柄と手腕で2年の楽団長任期を全うしました。活動では広く多く演奏舞台を開拓し、運営では楽団の中枢として全楽団員が納得する正規の手順に則って数々の難しい調整・決定を行いました。「個人の感情で無く、全体の意思で楽団を動かす」という成長路線はしっかり軌道に乗り、この頃の活動・運営のたくさん実績は成長路線が潰えたいまも、確かな「実り」としてうち大の基礎を築いています。

             

 平成二三年(2011年・第11期)

 紫不動王(むらさきふどうおう)

 udj-11.jpg

 御神体モデル  02003さん

 2011年の楽団は正月1月2日、東京から始まります。全国高校サッカー選手権に新潟県代表として出場する新潟西高の応援演奏に帯同しました。そして見事ベスト16に勝ち進んだ西高イレブンの栄誉を、世代を超えて演奏する新潟西高校歌で称えました。翌日の試合では、全国放送でサッカー解説者セルジオ越後さんにイレブンの奮闘と応援団の規模・情熱を絶賛されるなど、西高の快進撃・大応援団にうち大も一役買いました。

 udj-11ns.jpg(大人の事情により、画像は縮小して掲載しています)

 活動事後検証(反省)会であり中間機能を有す「紫章会」は、携帯電話を利用した「モバイル紫章会」に進化。それまでの郵送形態から、動かずしてほぼ0円で意見を送れる・集められる・結論を出せる仕組みは、斬新で画期的なものでした(紫不動王)。

udj-pos11.jpg

 「しゅうねん」、執念の10周年とも言える2011年8月20日、うち大は10歳を迎えました。単なる時間の経過による10年、あれこれ悪戦苦闘しながら悲願で掴んだ10年、いろいろな「10年」があって当然ですが、その「10年を成し遂げた立役者」は御神の02003さんです。10周年パーティーの席上では「いつまでも、笑顔の花を咲かせます」の10周年宣言を採択、これが現在の楽団の「笑い」の創造に至っています。この祝い事と時を同じくして うち大には次なる風が吹き始め、行き先知らずの船頭(煽動)さん、後付専門評論家、被害者アイドルなどの新しいタイプの楽団員が続々と脚光を浴びます。楽団はゆっくりと「やったもの勝ち」から「やった者負け、口出し者勝ち」の時代へ。02003さんはこの不毛さと滑稽さを知り尽くした上で、悲観するどころかさらにそれを笑いに変える力を発揮し続けて 次なる10年へ突き進んでいます。

            

 平成二四年(2012年・第12期)

 青彩青染権現(せいさいせいぜんごんげん)

 udj-12.jpg

 御神体モデル  07012さん

 2012年のサブカルチャーは「30」の数字で表されます。紫章会が第30回を迎える、03025さんが快適活動連続30回を達成、楽団キャラクターが30体をそろえる、など。「青を彩り、青に染まる。Uと共に、Uを創造する。」をコンセプトとするアカデミー賞ならぬ「アオデユー(青でYOU)賞」が創設されました。うち大に対する期待も批判も全てが「うち大」に向かうもの。どんな事実・言動、たとえ虚偽や罵詈雑言であってもそこにうち大が存在する証があることに感謝し、その楽団特性の素晴らしさを歓ぶ「形」です。いまもうち大でうち大を思いっきり楽しむあなたに、いまもうち大を「あーだこーだ」おっしゃるあなたにも、トロフィーが届いちゃうかもしれませんよ。

udj-aode.jpg 

 御神の07012さんは記念すべき100人目入学生として2008年3月に入学しましたが、残念ながら当日の本番には参加できず、初の「0(ゼロ)単位入学生」となりました。それから約5年の月日が流れた2012年11月、楽団初の演奏会「題名の決められない音楽会」に照明スタッフとして汗を流す07012さんの姿がありました。青を彩り青に染まる「縁」(「緑」じゃないよ)とは不思議なもので、また、Uと共にUを創造する「繋がり」(一筆書きだよ)とは壮大なもので、これからも数々の「縁」がありますように。成長路線の「結び」(最後)に、「縁結び」の神様として07012さんを御神に推薦します。

 udj-pos12.jpg udj-pos12-2.jpgudj-pos12-3.jpg

      

 すべてが「笑える」という恩恵をもたらすうち大神社は、楽団うちの大学の過去そして未来の「笑い」と共に生き続けます。

 

ここが巧み!うち大神社のひみつ♪

 まずはロッカーをふたつ作って、UDJ起工。 

udj-make01.jpg

 2本の太い梁が左殿と右殿を繋いでいます。しっかり基礎を築くために、この状態で一晩じっくり。

udj-make02.jpg

 2本の梁間の空間。先に見えるのは、楽団の未来?

udj-make03.jpg

 階段完成!「この階段、私のお気に入り」(シルバニアファミリーのCMみたいに)

udj-make04.jpg

 桧(木材)の特性?接合すると反りあがりやすいのです。屋根をしっかり締め付けて、養生しまっせ。

udj-make05.jpg

 その間、宮周りを造ります。手すりはこんな感じで、ね。平行かしら?高さはどうかな?

udj-make07.jpg

 これぞ黄金率!いい感じ。あ、Y澤さん?

udj-make06.jpg

 おぉ〜、それらしくなって参りました!秋分の日(祝日)を丸一日潰したかいがありましたね。

udj-make08.jpg

 央殿の裏側(側板を入れる前)。ここを竣工前の最後の工程にしましょう。

udj-op8.jpg

 UDJ央殿の屋根は解放可能です。

udj-op9.jpg

 央殿天井裏は補欠ルーム(御神控室)になっています。画像に写っている御神は矢澤神社からの派遣御神です。

 UDJ御神控室にはまだ若干の余裕がありますので、「神にしたい」という方がおられましたら、御神御身体(人形)をUDJへ奉納ください(自薦他薦は問いません)。

udj-op10.jpg

 UDJ拝殿下は引き出し宝殿・奉納庫。たくさんの想い出を奉納することができます。

udj-op11.jpg

 もちろんUDJは楽団資産。SADOGASHIMA管理です。

udj-op12.jpg

 設計図も無くいきあたりばったりに築かれたわりにはこのあたり、宮大工さん的な巧みな感じがしませんか?

udj-op1.jpg

 オプションで矢澤神社鳥居を接続することができます。

 建立日である「硬派99世代」15周年記念祭では、開催前からDC(99用語=ドタバタ・キャンセル)が相次いだため、4人での開催になりました。それに加え彩の国から02003さんがまさかの大遅刻!その結果、西コミの大体育館で、2人でひたすら木材に彫刻等で穴を彫り続けるという地味すぎる工程(珍事)を経て建立されたうち大神社・矢澤神社鳥居です。

udj-op2.jpg

 とても慎重に穴を彫る01012さん。遅えよ〜

udj-op3.jpg

 やっと穴が開き、二つの柱がつながりました。その傍らには、彩の国から遅れて到着した02003さんが御神体をセレクト中。

udj-op4.jpg

 UDJ建立後、聖地西コミを後にして01006さんのお迎えに。うれしいことに女神と御子にも逢うことができました。

udj-op5.jpg

 途中、すっかり新しくなった内野駅を一枚。新築年が一緒のUDJうち大神社とUNE内野駅は双子みたいなものですね(あつかまC)。

 その後、岩室温泉で御開帳。西高・うち大での想い出話に花が咲き「ブロッサム!」、楽しい夜はあっという間に過ぎました。

udj-op7.jpg

 最後に「リムジン」。やっぱりリムジンは全長が長すぎて、内野四ツ角を曲がるのに苦労しましたが、UDJの遷宮護送に大活躍でした。

 次の記念祭は5年後の2019年、大改造!!劇的ビフォーアフター「神々が降臨できない神社」でお会いしましょう。

 もどる