UDJ うち大神社
平成25年7月14日 午前11時ごろの電話 H島「(関越道下り)三芳PAに入って40分くらい経つんだけど、まだ本線に入れないくらい渋滞してて… だいぶ遅れるかも」 T橋「こっちは何時になっても大丈夫だから、ゆっくり安全運転で来てさ」
この日、H島を乗せたS原の車はうち大の練習に向かうべく、関越道を新潟へ向かっていました。その道中で、H島からT橋へギターを受け渡すために、正午から午後1時の間に関越道山谷PAで待ち合わせを予定。週末恒例の関越道渋滞に巻き込まれた様子。そして新潟(長岡)は時より強く雨が降る典型的な梅雨空。 「無事に着けばいいが…」 T橋がそんな心配をする理由には、悪天候だけでなく 数々の「S原 クルマ伝説」があるのです。 “内野まつり出演に間に合わせるために深夜学生バイト終わりで埼玉→新潟直行”とか、“冬の活動後に即行Uターン・プロドライバーも脅えるガンガンに凍結した悪路三国峠越え”、“気づいたら運転席側のミラーが助手席に転がっていた”とか、“あれ!?またクルマが変わってるよ!”とか… 数々のクルマ伝説を世に生み出してきたS原。 (T橋)/ここ(長岡市内)から山谷PA(小千谷)まで移動時間30分として、あと1時間半は余裕があるかな。よし、作るか! と、ひらめいて即作り出したものが、「うち大神社おまもり」。 約1時間で完成、S原専願「交通安全」おまもり。ついで(?)に都市系バンドで活躍するH島へ「商売繁盛」のおまもりも完成。 その後、無事に山谷PAでおち合うことができた3人。S原とH島にとっては思いがけないギターと「おまもり」の交換。わずか2分弱の談笑後、S原カーは一路新潟市に向けて出発。どうか、後の道中も帰路も安全に! 材料費20円弱のおまもりにご利益も何もあるわけないでしょうが、想いや願いは「カタチ」にすることで「チカラ」になる、そう思うのです。 |
うち大神社お守りアクセサリー 裏面に油性ペンで願い事を書いて身近につけて、いつの日かそれ(文字)が消えたりお守りが壊れると願い事が叶うという ウワサのお守りアクセサリーです。壊れやすーく作っています。
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うち大神社願かけアクセサリー 各種慶事・願い事にどうぞ。 |
● 職人照大御神(ぷろてらすおおみかみ) 天照(アマテラス)ではありません、プロを照らす神様です。 |
● 遠足水筒中身御茶命(えんそくのすいとうのなかみはおちゃのみこと) 水筒の中身はお茶しか入れてはいけないという遠足のきまりを守る神様です。 |
● 三上御寝大御神(みかみをおねんねおおみかみ) 回文の神様です。 |
● 門限尊厳権現(もんげんそんげんごんげん) 門限を守る人の帰路を護る神様です。 |
うち大神社は旧矢澤神社の正統な譜系を汲む国内で唯一の神社です。 矢澤神社 矢澤神社は平成11年2月頃に開かれました。その起源は新潟西高合唱部が定期演奏会で演じるオペレッタでの小道具の「鳥居」です。しかし、作ったはいいけど「小さすぎて客席から見えにくい」という理由から、舞台で陽の目を浴びることなくその役目を終えた鳥居。だれからともなくこれを吹奏楽部の楽器棚最上段に祀ったのが始まり。いつしか恩師・Y澤先生のお名前にあやかり「矢澤神社」と呼ばれるようになり、「やざ神(やざじん)」の愛称で定着しました。後に、その神棚(?)にだるまが置かれたり、aiwaくんの100点満点の中間テスト答案用紙が奉納されたり、なぜか映画評論家の淀川長治さんの写真が飾られたりするなど、何でも合祀してしまう不思議な神社に進化しました。そしていつしか吹奏楽部・合唱部男子部員は、コンクールやコンテスト当日に矢澤神社で「金賞祈願」を行うようになりました(合唱部は金賞で県代表独占、吹奏楽部はシルバーコレクター)。 (楽器棚の鳥居を見て)「最初、やばい宗教が絡んでいるのかと思った」/当時の新入部員談 その後、時代の波に揉まれ?た矢澤神社は、平成15年春の目撃を最後にその姿を消したようです。
平成15年春のうちの大学祭で偶然撮影された矢澤神社。これまた偶然にも太鼓を打っているのはS原くん(10年前も変わらんな〜)。 |
「うちの大学の末期って、変な宗教色を強めて分解したよね」とか、「A級戦犯…もとい永久追放を受けた最中局開祖のうち大神社を、楽団要人が公式参拝したことに楽団内外から非難の声が…」とか、そんな笑えるオチがつきますように。うち大神社の願いです。