内野町紹介��(「不意討ちの内野惜別」2番歌詞より)

 

 

 斬罪無常 団九郎踏切[7] 心の内残した文切り捨てて 

       

    団九郎踏切 県道16号線側から望む               踏切銘板             新潟大学側から望む

 団九郎踏切は、新潟大学正門と県道16号線(大野・内野の境界付近)を結ぶ坂道の途中にあります。この周辺は昔から、『内野団九郎 砂崩の地』と呼ばれています。

 原因の関連性は不明ですが、近年では2007年8月、大雨によって団九郎踏切付近の線路盛り土が崩れて越後線が不通になりました。

                         

          内野駅方面を望む       新潟大学前駅(新潟駅)方面を望む          道路と線路の交差 

 越後線の線路はこの団九郎踏切から先、内野駅へは直線、新潟大学前駅へは緩くカーブしています。踏切と接続する道路は自動車1台が通れるくらいの幅員しかありませんが、日中は 多くの自動車・自転車・歩行者が利用している踏切です。

               

         浪士 佐藤一郎の墓       杏露酒が供えてありました        遠くに見えるのは日本文理高

 踏切の北側(上側・新潟大学側)には浪士佐藤一郎の墓(石柱)があります。幕末(慶長4年・1868年)、内野村周辺の富裕な家が次々と賊に襲われる事件が発生しました。また同じ頃、内野村の宿屋の2階から男5名が金をばら撒く騒ぎを起こし、不審者として捕らえました。その後、この一件に絡み、ここ内野団九郎砂崩の地で斬首刑に処されたのが(賊の首領と推測される)佐藤一郎であると伝えられています。

 踏切の南側(下側・県道16号線側)には、日本軍航空隊長の墓があります。

 

 ぶち切り裂ける 元橋断崖(もとばしだんがい)[8] 平穏は崩れて絶壁の別れ

      

                新川元橋      新川上流(内野町方面)を望む       新川下流(新川漁港方面)を望む

 「元橋断崖」は作詞上の造単語です。突然に砂丘が途切れるかなり切り立った崖ですが、元々 砂丘鞍部を放水路(新川)建設のために人力で掘り割ったことが理由です(詳しくは以下「新川西川の交差」を参照)。新川元橋は1998年竣工、新川に架かる橋の中では比較的新しく、他の橋群とは異なり水面から高い位置に架けられている橋梁です。

 2008年に佐渡から放鳥されたトキ(愛称「カズミチャン」 個体番号13番 雌鳥 当時2歳)が、その翌年 内野に飛来し約4ヶ月間住み付き、この新川元橋上空を優雅に飛び回っていました。この様子はNHKの全国放送番組で取り上げられ、一躍全国デビューした橋です。また、「カズミチャン」の飛来によって新しい内野ご当地菓子「うちののトキまんじゅう」が誕生しました。

 

 混石舗装(こんせきほそう)[9]の駅前界隈 乾いた靴音 冷たく響く

           

               駅前界隈 内野駅方向を望む                      内野四ツ角方向を望む

 「混石舗装」は作詞上の造単語です。内野駅前から内野四ツ角までの区間「駅前通り」、通常のアスファルトと異なり、特有の趣ある路面になっています。

            

             路面の様子        一見すると砂利道のような路面           白線も独特な状態劣化

 コンクリート路面には小石が埋まっています。その小石は毎日、内野駅前を行き交う自動車のタイヤによって磨かれています。

 小石を混ぜて舗装している理由等をご存知の方は、弊楽団までご一報いただければ幸いです。

 

 女 魅惑に誘うネオン灯 酔わす四蔵酒(しくらざけ)[10]

              偕楽館跡地 

      内野小学校から新川を挟んで対岸に所在していた偕楽館。1970年代頭に閉鎖され、その後 建物は火災で焼失。現在は荒地。

 かつて内野には偕楽館という大きな高級料亭があり、内野町は「新潟の奥座敷」と呼ばれていました。この偕楽館のお客の持ち帰りおみやげ用として作られたのが、いまや内野を代表する銘菓「新川せんべい」です。偕楽館が無くなった現在でも、内野の街に割烹や仕出屋が目立つのは「奥座敷」である名残りでしょうか。

         

              濱倉酒造            樋木酒造             塩川酒造

 新潟の財界実力者や各地の名士が内野に集まり、また 内野には大きな工場が2つもあったことから、夜な夜な内野の街は華かに賑っていたそうです。そんな内野の夜を彩るに欠かせないのは、日本酒。5年前まで内野には4軒の酒蔵がありました(現在は3軒または2軒 ※伊藤酒造の他に濱倉酒造も廃業したとの情報あり)。同じ町の一帯に、4軒の造り酒屋が並んで存在していたのは全国的にも非常に珍しいそうです。(「四蔵酒」は作詞上の造単語です)

   濱倉酒造 … 朗(ほがらか)  樋木酒造 … 鶴の友  塩川酒造 … 越の関  伊藤酒造 … 日本海 [→塩川酒造へ引継]

         

 いまから約10年前。内野を通過する新潟交通のバスの車内では、「・・・ほがらか、ほうでん(ほうざん?)、にほんかい・・・」というアナウンス広告が流れていました。内野町の造り酒屋の共同広告だったのでしょうか?(詳細は不明です) また、同じバスで聞こえてくる「マルカク味噌醤油醸造場」という 早口言葉のようなアナウンス広告が有名です。そのマルカクさんは、内野で「西瓜の味噌漬け」という珍味を販売しています。

 

 騙し上手に騙され下手が 打ちのめされて

 追いかけて追いかけて交わらぬ人生(たび) 新川西川の交差(ねじれ)[11]のように

            

              案内看板          新川左岸から望む             新川右岸から望む

 新川を跨ぐ槇尾大橋(西大通り・旧国道116号線)の下流に、全国でも珍しい橋梁があります。一見すると、赤い保守用作業橋が付属した配管トラス橋のように見えますが…

             

                           橋上に水が!!                    トラス橋の中を流れる川

 川が川を渡っています。上を流れるのは西川、下を流れるのは新川です。通常、「交差」は「コウサ」と読みますが、歌詞では「ネジレ」と呼称しています。

 現在では水田が広がる西蒲区一帯ですが、かつては水はけが悪く大きな潟がいくつもありました。その排水の全般は西川と信濃川でまかなわれており、まとまった雨が降る度に排水不能に陥り、度々水害に悩まされていました。そこで1817年、この低平地の水を日本海へ流すための放水路(現・新川)が掘られることになりました。これに伴い、それまで西川が担っていた河川機能(舟運路、灌漑用水路等)を失わないように、西川の下に新川を通すための底樋(そこひ=木製の水路トンネル)を埋め込む工事を開始しました。この交差の他にも、内野村の砂丘(通称・金蔵坂 現・新川元橋付近一帯)を掘り割るなどのいくつもの難工事を経て1820年に通水、新川が完成しました。その後、この水路トンネルは改修や増設工事を繰り返し、新川の排水機能を維持・向上させてきました。1955年、西川の舟運が衰退し西川の主な機能が用水・治水になったため水路トンネルは撤去され、現在の二連トラス鉄橋が架けられました。

           

               西川上流(新川左岸)部                調整水門    西川の一部は水路橋の脇で新川と合流

 西川はここで新川に注ぐ水系と、新川を跨いで坂井・小針・小新を経て青山(平島・関屋分水入口付近)で信濃川へ注ぐ水系に分かれます。いずれも行き着く先は、日本海です。

       

   手前は西川(水流は左から右へ)、奥は新川(下流(日本海方面)を望む)                    西川水路橋と槇尾大橋 

 

 往来(いき)[12]ちがい擦れちがい永遠に絡まぬ運命(さだめ)

       

      往来橋 上流・右岸から望む              右岸から望む            下流・渚橋から望む

 新川に架かる、現在 国道402号線の新川漁港付近の未通区間を迂回している往来橋です。名前の通り日中の交通量は多く、たくさんの人や車が往来する橋です。上流からは青色、下流からは白色の橋に見えますが、それは上流部に青色の配管橋・下流部には白色の歩道橋が隣接していることが理由です。往来橋そのものは着色の無い自然劣化色のコンクリート橋です。往来橋のたもと(右岸側)に店を構えるたばこ屋さんは、県内屈指のたばこ銘柄の取扱量を誇ります。その店先の「五十嵐二交差点」は変則五(六)叉路の交差点で、路線バスが道幅いっぱいに曲がり切るダイナミックな右・左折は見物です。

 

 内野大神宮[13]に慰み残し 

           

                  三番町の大神宮                       一番町の大神宮

 内野町には「内野大神宮」と名が付く神社が二社あります。三番町の大神宮は「上のオミヤ(上社)」、一番町の大神宮は「下のオミヤ(下社)」と呼ばれています。

           

                三番町の大神宮本殿                     一番町の大神宮本殿

            

 どちらの大神宮も車通りの多い道路に面していますが、木々に囲まれた境内は静けさに包まれ厳かな雰囲気です。

 

 逃れても逃れても振り切れぬ過去(ひと)

 ここで諸とも消え失せようか

 不意討ちの惜別を嘆き足掻いて涙

 内野広通江[14]を日本海[15]へ流れ

           

            広通江 新川との合流地付近                 日本海へ注ぐ新川 新川河口

 西内野を縦断した広通江と内野を横断した新川は、壮大な日本海へ流れます。行き先のわからない旅が、ここ内野から始まります。

 

 仕打ちの惜別 相討ちの縺れ

 愛、内野

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