うちの大学について、楽団員のリクエストと最中局の資料発見や思い出しで作成される常時半保護状態のウチペディアです。「気が向いたら〜」、のんびり加筆・編集項目です。
うちの大学
うちの大学(うちのだいがく、 英語: Uchino University / Uchino Daigaku )は、新潟県新潟市西区内野地区に本部を置く日本の私立楽団である。2001年に設置された。大学の略称はうち大(うちだい)。
大学設置 2001年
創立 2001年8月20日 学校種別 私立楽団 設置者 楽団うちの大学 本部所在地 新潟県新潟市西区内野地区 キャンパス 「心のキャンパス」を提唱中 学部 よく学部(よくまなぶ) 遊部 よく遊部(よくあそぶ) 学科 無 (“がっか”りさせません!) 課程 通信課程(2013年設置) ウェブサイト 楽団公式ホームページ |
概観 .
大学全体
学生数は在籍生[近年(過去2ヵ年以内)楽団活動に参加している楽団員]が約40人(うち、1回あたりの活動参加者は15〜20人前後)、録籍生[近年楽団活動に不参加の楽団員]は約90人、過去の学生登録人数は130人を超える。創立以来およそ10数年、この間に輩出した卒業生は0人(卒業の定義自体が整備されていない)。2012年現在、大学には、よく学部(よくまなぶ)と
よく遊部(よくあそぶ)の2遊学部がある。これは
「よく遊び、よく学ぶ」の建学の精神を込めた設置であるが、大学にこの2遊学部が存在するということを知っている教授・学生は皆無である(ていうか、ここで初めて思いついたし発表したし)。よく学部には大学院のせんべいが課程(せんべいが固え〜)を有す。
略称は「うち大」(うちだい)。学校法人体の大学と混同されることを避けるため、名称の頭に「楽団」を付し、表記上は「楽団うちの大学」としている。
建学の精神(校訓・理念・学是)
うちの大学は「いままでにない楽団・これからつくる楽団」を提唱し、独自の楽団運営・活動を行っている。
うちの大学は「音楽とユーモアのチカラで笑顔をつくる」というコンセプトを掲げており、建学の精神である「よく遊び、よく学ぶ楽団」の構築を最大目的とし、「ふざけることにまじめ」の精神を伝統的な教育(活動)理念としている。
沿革 .
略歴
草創期「暫定楽団」
2000年(平成12年)に県立新潟西高等学校吹奏楽部の卒業生有志(主に99年度卒(脚注1))と現役生で結成し 、新潟県吹奏楽連盟主催の新潟県マーチングコンテストの古町パレードに出場した「新潟西高OBバンド」が楽団の起源である。その翌年(2001年)、新潟西高吹奏楽部卒業生(主に00年卒)と現役生でうちの大学を開学する。(吹奏楽連盟の登録上の扱いとして、「新潟西高OBバンド」からの改称による「うちの大学」の再登録か、「新潟西高OBバンド」とは関わりの無い「うちの大学」での新規加盟であったかは現在も不明)
以降、一夏一活動で古町パレード出場を目的とする「夏のおもいでづくり楽団」であったが、2003年に地元・内野まつりバンドフェスティバルに出場したことを皮切りに、各種イベントへの参加や演奏協力活動を増やすようになる。
暫定楽団から「運営陣」の成立
演奏活動の回数が増えてきたことで、活動引率者の固定化が急務となる。それまでは活動ごとに編成され引率(主導)する「引率チーム」が存在し、個人の当該チームへの参加は慣例や個人状況によるあくまでも任意協力の範囲での集合であった。その結果、個人の環境・感情や個人間の関係悪化等により企画や準備が停滞し、活動の実施自体が揺らいでしまう事態が度々発生する。この状況を改善すべく、2007年発表の長期プロジェクト「10プラン」構築の一環として 楽団の活動企画と運営を担う「運営陣」(三役3名体制)の開始に踏み切る。運営陣は「楽団運営に携わります」という明文化された意思を各人が共有していることで成立する、これまでの任意協力から一歩前進した運営体(チーム)となる。これにより、それまでの楽団運営の不安定は劇的に解消され 長期的に活動を思案・企画を進めることが可能になった。2007年夏には初めて強化合宿を開催、翌年(2008年)には初の訪問演奏実施、そして楽団独自の大型活動「楽団音楽結婚式」を成功させる。また、2009年導入の「やくそくの約束」を運用基準として、運営陣は運営陣多数決「ウンタス」を有す楽団の意思決定機関(合議体)と位置づけられ、演奏活動の他にも平時に係る数々の活動・運用基準等を整備してきた。そして、活動回数を重ねるごとに反省を残し成長につなげることを目的とした活動事後検証「紫章会」を成長させる。紫章会は活動事後検証だけでなく、楽団員と運営陣および事務(現最中局)との意思乖離を防ぐための調整機能も有する。これら運営陣や事務局への助言(一般楽団員の意見集約)機能を備える紫章会を中間(中心)に置き、三者(楽団員=主体者、運営陣=実施者、事務局=補助者)による「Check and Balance(確認と均衡)」の安定形態が構築される。
楽団員-運営陣-事務局の三者体系による安定期
2008年、運営陣(三役席者3名)に四側要員4名を新たに追加し、計7名体制で運営人員・役割・内容を充実させる。同年以降、年間の活動回数は飛躍的に増加する。その背景には 上述の三者体系が構築されたことでそれぞれの立場が明確になり、個々の感情や感覚に左右されない継続的かつ効率的な楽団運営・企画の実現があった。またEメールを全楽団員共通の記録化目的で活用し、いわゆる「言った言わない」などのその場しのぎの対応を排除することで、個人間に齟齬や禍根を残さない運営上の合理的記録主義が確立される。そして、運営陣内では活動準備期間外(平時で)の楽団についての考察機会が増えたことで、楽団のあり方・関わり方の思考や定義の整備が進む(「精査紫章会」、「役特金やくると365」、「解散基準」等)。加えて、事務局は実質的に楽団運営から離れたことで、楽団の装飾・附帯部分に係る製作作業に費やせる時間が増えた。これにより多種・数々の楽団関連備品やグッズ・キャラクター等が誕生するに至るなど、楽団のソフト面も充実する。2011年には高等学校サッカー選手権での西高応援演奏、西関東アンサンブルコンテストでの銀賞受賞と輝かしい活動実績が続く。同夏には「あなたがつくれる楽団・つくりたい楽団」の理想追求姿勢を具体化させた「役夏選挙」が実施され、初めて楽団員の信任を受けた三役席者(副楽団長・マネージャー)が誕生する。そしてついに2011年8月20日、めざせ10歳・楽団長期プロジェクト「10プラン」の最大目標である創立10周年を迎える。同席上で「(中略)いつまでも 笑顔の花を咲かせます」の10周年宣言文を採択する。
運営陣による楽団運営の終焉
2011年、運営陣は役夏を経て新学期でそれまでの「10プラン」に替わる新長期成長戦略案「いちごい〜ちえ」の策定に着手するが、その後は頓挫、ことごとく不調に終わる。2012年夏、「少数精鋭」を大義に三役は当時の四側要員3名全員の委任を終了し、運営陣は4年ぶりに三役のみ3名体制になる。同じ頃、運営陣は「楽団の閉塞感」「意思疎通の不全とそれによる不信」に伴う「楽団の負の側面に耐えられなくなった」ことを理由(当時四側の説明記録による)に、楽団解散の方針を打ち出す(通称「八海山クライム(初解散暗い夢)」)。しかしこの解散騒動は、同年11月開催予定の「演奏会企画」への着手(再開)により、間もなく収束する(運営陣による演奏会企画の約8ヶ月間の実質放置・ほぼ手付かずの状態が明るみになり、残り3ヶ月での開催実現を「楽団総力戦」で目指すことを決める。この「非常事態」により運営陣は解散方針を取り下げて火消しを図る)。同11月11日、初の演奏会「題名の決めきれない音楽会」を成功させる。この演奏会後に運営陣から楽団員へ発信された力強いメッセージとは裏腹に、楽団運営は衰退の一途を辿る。また、同時に運営陣(当時三役2名)と最中局の関係は急激に冷え込む。以降、最中局は運最間に関係する諸々の項目について「時限設定」を、運営陣はそれらの「時限(通過)決定」(時限設定、意思・記録の無い 期限切れによる自動決定)を乱発する。運最間の各種事前取り決め事項の形骸化、長期成長戦略案「いちごい〜ちえ」の自然(時限)消滅、紫章会は機能不全(運営陣による回答の停滞に続く放棄)に陥る。2013年8月1日、「やくそくの約束」規定(進退意思表明無しによる「自動解任」)により運営陣体制での楽団運営は崩壊する。
「ARTかたづけ」、「住み分け」開始
運営陣体制終了に伴い、「発展的分離・円満分割」として楽団を「ARTかたづけ」で再編する。演奏活動と最中局を完全分離「住み分け」し、関係する基準・範囲を全撤廃させる。演奏活動はスリムかつシンプルに、「その時その瞬間の演奏を楽しむ」という楽団結成の原点回帰を目指す。
2013年8月31日「長岡披露宴演奏」で従来形式の活動に終止符を打ち、同9月14日「ふれあいカーニバル」で新しい形態の楽団活動を開始する。
年表
・ 2000年 新潟西高OBバンドの名称で吹連加盟、古町パレード出場(脚注2)
・ 2001年 うちの大学創立、古町パレードで楽団旗揚げ(古町パレードは以降、06年まで6年連続出場(脚注3))
・ 2003年 越後初演と銘打って、東京ユニオンの伝説のナンバー「源氏」で内野まつりバンドフェスティバル出場(脚注4)(以降、雨天中止になった2011年を含め10年連続出場)
・ 2006年 楽団オリジナル曲「エガオフルマチ」で古町音楽祭出場
・ 2007年 楽団運営「運営陣」始動 合宿初開催(以降、秋季恒例活動になる)
・ 2008年 初の訪問演奏実施(十字園、以降毎年演奏実施) 楽団結婚式開催
・ 2010年 下越バンドフェスティバル出場(以降、4年連続出場中)
新潟県アンサンブルコンテスト出場(以降、3年連続出場中)でクラリネット三重奏が金賞受賞
・ 2011年 全日本高等学校サッカー選手権 新潟西高サッカー部応援帯同演奏(脚注5)
西関東アンサンブルコンテストでクラリネット三重奏が銀賞受賞
創立10周年記念パーティー開催
・ 2012年 第1回演奏会「題名の決められない音楽会」開催
・ 2013年 楽団運営形式「運営陣体制」終了、「ARTかたづけ」による楽団改編実施
歴代総長[楽団長]
・ (不在) 2001.8.20 ‐ 2007.8.19
・ 初代 学籍番号02003 在任期間/2007.8.20 ‐ 2009.9.19(02001を後継指名・内定)
・ 第2代 学籍番号02001 在任期間/2009.9.20 ‐ 2011.9.17(01011を後継指名・内定)
・ 第3代 学籍番号01011 在任期間/2011.9.18 ‐ 2013.7.31(時限による自動解任)
歴代学長[最高顧問]
・ 学籍番号01019(西高恩師) 在任期間/2006? ‐
基礎データ .
所在地
「どこでもキャンパス」、「心のキャンパス」、「創造(想像)キャンパス」として、有形施設・定期活動を持たない楽団運営・演奏活動を行っている。
象徴
校歌
校歌として、04002が作曲し01011と01015が原作詞、01018が補作詞した『うちの大学校歌』が定められている(2011年制定)。また、02003が作曲し01018が作詞した『きみとうちのそら』は校歌と同等に楽団を代表する楽曲であり、『うちの大学校歌』制定後は「学友歌」的な位置づけで楽団員に親しまれ続けている。
校章
うちの大学の校章は、ふたつの i を基本として U を形成し、笑顔を象っている。
キャラクター
30種類の楽団キャラクターが存在し、各方面・場面で活躍している。
期スローガン・エンブレム
毎期、運営陣内でスローガンが選定・決定されている(2005年以降)。また、その標語に合わせた期エンブレムも作成される(2006年以降)。
期 4月1日から翌年3月31日の期間を「1期」としている。期内収支(「楽団活動資金収支報告書」適用)もこれに同じ。西暦の下2桁と期が一致(例/2013年=第13期)するのは、偶然である。
学期 歴代運営陣の運営期間について、楽団履歴として表記する際には在任期間中の楽団長の名前を冠した「(名前)学期」と称するのが通例になっていた。例/キャンドル楽団長→「キャンドル学期」 尚、三役(「3」)が奇数西暦年の改選、四側(「4」)が偶数西暦年の改選設定であるのは、偶然であった。
教育および研究 .
組織
学部 ・よく学部(よくまなぶ)
遊部 ・よく遊部(よくあそぶ)
大学院 ・うちの大学院(実体不明)
付属機関
・総合研究所ウソウケン
・よその中学(実体不明)
学生生活 .
(2013年7月まで) 所属形態の専属・重複登録に拘らず、また在住地の遠近、奏者経歴や演奏技量等を一切問わず多方面から楽団員を募集する「多団籍楽団」を全面に押し出した学生(楽団員)募集を行ってきた。定期的な練習日を設けず、活動(出演舞台)が決まり次第、その2ヶ月前くらいから週1〜2回の練習日を設ける。原則、練習は入退室自由(遅刻・早退可)とし、積極的に個人に合った練習機会を創出してきた。また、基本的に活動に関係する連絡等の大半は楽団アドレスと個人端末(携帯電話等)間でEメールを使用して行われた。個人所有でまかなえない不足の楽器については、他楽団等からの借用で確保してきた。
「Brass & Percussion」を楽団ロゴに記すうちの大学の演奏形態は吹奏楽を基本としてきたが、活動ごとに集まる奏者の楽器種類により楽団形態は都度変化していた。楽団員には学籍番号が付与され、単位バッジが貸与された。この単位は「活動単位」と呼ばれ、1活動参加につき活動規模に応じて設定される2単位か4単位を認められていた。保有単位数の累積によって、単位バッジが昇格した(白、黄、赤、青、紫、銀、金の7色種による識別。金章はさらに三階位に分類された)。
(2013年8月から) それまでの活動形式を一新した。活動評価や備品貸与などに係る基準等を全廃し、「演奏を楽しむ」ことを最大目的として演奏活動を行っている。現在、楽団としての楽団員募集は行っていない(楽団員設定基準が存在しない)。
大学関係者と組織 .
大学関係者組織
運営 ・楽団運営陣
事務 ・楽団最中局(旧楽団事務)
中間機能 ・紫章会(規定有資格者による常任委員と任意による招待委員による、楽団員-運営陣-最中局 の三者調整機能)
※13年7月31日を以って運営陣による楽団運営体制が終了したことから、上記セクション・内容は全崩壊。
(13年8月以降)
演奏活動 ・演奏活動に参加する楽団員
装飾(付帯)部門(「通信課程」含む) ・楽団最中局
付属機関
・アンサンブルコンテスト担当室「あんこんたん」 ※運営陣体制終了につき閉鎖
・うちの大学出版 他
大学関係者一覧
運営形態 .
(2013年7月まで)
運営陣(うんえいじん) 楽団の運営は楽団運営陣人員と運営実施要領「やくそくの約束(2009年夏導入)」よって実施されてきた。運営陣は唯一の楽団意思決定機関であり、運営中枢であった。運営陣は、三役(さんやく/楽団長、副楽団長、マネージャー =各1名)と四側(よんそく/三役の補佐機能=最大4名)に大別される。三役改選期は奇数西暦年の夏[役夏]、四側改選期は偶数西暦年の夏[側夏]となっていた。その進退・動態については「やくそくの約束」に規定されていたが、形式上、三役は楽団員の大勢意思として楽団に承認され就任した。四側は三役によって委任され、全般的に三役の意思により楽団運営を共にしていた。四側の三役に対する優越は無かった。2011年夏の三役改選期(役夏)では、「だれにでも創れる楽団・あなたの創る楽団」の理想を追求した初の三役選挙が実施され、楽団史上初めて楽団員からの選出(信任)による副楽団長とマネージャーが誕生した。
楽団(会計担当者)は、期末に三役および四側の運営対価(「びふぃずすきん(日付受数金)」=1日あたりの設定金額)と任期(在任日数)により算出された「やくるときん(役類特別金)」 を一括支出された。「やくるときん」は『楽団運営人員として、1期(1年間)楽団を維持した実績に対して支給される現金』と定義されていた。運営陣人員は、やくるときん(役類特別金)を受け取る(受領)か・受け取らない(返納)かを選択し、その選択結果は非公開としていた(「収支報告書」には項目「第○期役類特別金支出」と記載され、個人名や個人金額や受領・返納の取り扱いについては記載されなかった)。
紫章会(ししょうかい) 楽団の決定権限は運営陣(三役)が有すが、一般楽団員からの提言機能として「紫章会」を2007年から2013年まで運用していた。紫章会は、活動後の楽団員意見・感想の収集と提言を目的とする「活動事後検証」と、総長[楽団長]が必要と認めた際に起動させる「総長調査」があった。いずれも常任委員から選出される紫章会幹事が意見・感想等を取りまとめ、運営陣に総括提言として助言する形を採っていた。
最中局(もなかのつぼね) 旧楽団事務。楽団設計、総合デザイン、備品製作・管理、会計他、主に雑務を行ってきた。
(2013年8月から)
演奏活動 特に設定無し。
楽団処理(ARTかたづけ主体) 最中局。13年7月31日までの保有活動資金の管理(還元)や備品管理等を行うとともに、「通信課程」による現有活動資金の転用(還元)等の楽団処理を行っている。
諸問題 .
本項目では個人や個人間に係る諸問題についての記載は行わないが、複数人および楽団全体の過去の事象として以下内容を記載するものである。
貴重な意見も「言い逃げ」「後付け」に、しこりを残す悪循環
さまざまな機会で、楽団員による口頭での数々の意見や指摘が集まる。しかしそれらが適切(紫章会等による第三者を含めた文章化・対象者への伝達)に取り扱われないことで、対象者(項目)不在の場での一過性の盛り上がりに終わる。これは結果として、「陰口」「言い逃げ」となって何も生まれないだけでなく、不平・不満だけが残ってしまう。また、回答期限後や通過決定後(時限落着後)に「あれは○○が理由」「これは××が原因」等の数々の弁明が寄せられてきたが、それらは時系列から「後付け」「言い訳」になってしまう。本来、有効かつ有益である多くの本音の意見等が記録化(取り扱い)されずに消滅したことで個人間および全体に消極的部分しか残さないだけでなく、おそらく膨大な数に上るであろう無限大の期待=「笑い」へ展開機会を逸失する結果となってしまったことは 非常に悔やまれる。
「悪循環」に陥らせない「善循環」転換術
「楽団うちの大学」というおかしな名称からも、楽団および楽団員はどんな場面・立場にあっても「格好つける」必要が全く無い(正確には「格好つかない」が適切)。この特性と土壌を最大限有利に活かすことで、楽団は基礎を保っている。そして、元来楽団には消極・積極および内発・外発等を問わず楽団に関係する全ての事象を「楽しさ」「おもしろさ」「笑顔」へ変化かつ展開させる環境や道具が充実しており、またそのチカラを持っていた。
これを基礎定義として、楽団が抱える多くの問題や懸念事項については『楽団があるがゆえ』=「楽団が死んでいれば問題すら発生しない、問題が発生していることは楽団が生きている証」と捉え、「究極の積極的指向(思考)」に期待と勇気を加えて 少しずつ諸問題の改善に取り組んできた。その最終形は、ユーモアの真骨頂である「ARTかたづけ」と「最中ネガキャン」に集約された。
対外関係 .
他大学との協定
・単位互換 無 (今後、他に単位制の楽団が誕生した場合にはぜひ単位互換を実現したい)
・交換留学制度 無 (但し、新潟国際情報大学吹奏楽部とは長年にわたって演奏舞台や奏者、楽器や楽譜等の交流が存在する)
・その他 他楽団での活動をメインとし、うちの大学をセカンド楽団(「息抜き」程度)とする位置づけでの活動参加(入学)も熱烈歓迎。
系列校
無 (但し、新潟西高吹奏楽部は楽団の原点であり、現在も大切な「母校」である)
エピソード .
現在編集中です
出版物 .
学内機関紙
・うちだい新聞 うちの大学出版から年1〜2回程度、運営陣改編や重要広報時に発行される。基本的に、大げさな文調である。
2009年9月19日付 「新運営陣始動 - 楽団長に(02001)氏が就任」
2010年9月18日付 「運営四側が着任 - 側夏結果と新体制を発表」
2011年1月7日付 「金賞・県代表に輝く - クラチームが歴史的快挙」(両面版)
2011年9月17日付 「(01011)学期始動 - 楽団長に(01011)氏が就任」(両面版)
2012年8月4日付 「バッジ基準を改定 - 金章を三階位制へ移行」(両面版)
2012年9月7日付 「演奏会開催決定 - 二五名全員で成功を目指す」(両面版)
2012年11月11日付 「題名の決められない音楽会 - 第1回うち大演奏会を開催」(両面版・演奏会プログラム)
・内田伊香子新聞 「うちだいかこしんぶん=うち大過去新聞」。楽団における過去の出来事を、当日の日付を記してあたかも当時のスッパ抜きや特ダネかのように調理して紙面を賑わす。モットーは『“温故知新” 故きを訪ね… 『“餡子致新” あんこは新しい方がいいと思う』である。
・小曽根新聞 演奏依頼を受けた結婚披露宴で来席者へ配布。会場スタッフが挙式前に配布したため、“神聖な教会で多くの参列者が小曽根新聞を読んでいる”という珍事が起きる。
2013年8月31日付 「陽一と真由美が結婚」(両面版)
CD
・エガオフルマチ(シングル) /2007年/楽団第1号のオリジナル楽曲「エガオフルマチ」を06古町音楽祭ライブ収録。
・きみとうちのそら(アルバム)/2009年/きみとうちのそら、しょこベビへのうた、エガオフルマチ の3曲を、うちの大学UKプロデュースの編集と日大芸術学部有志の演奏で収録
YouTube
エガオフルマチ、きみとうちのそら、しょこベビへのうた、おんぷのなかまで を試聴可能。
書籍
・楽団うちの大学創立6周年記念誌 /2007年/うちの大学出版
・ウチゴンのほん /2008年/うちの大学出版
・学生手帳 /2012年、2013年/うちの大学出版
・学生手帳(演奏会出演者スケジュール管理用) /2012年/うちの大学出版
・講義ノート /2006年から毎年/うちの大学出版
連絡書面・通達書面
楽団内での連絡・認定等に用いる書面類の多くは、最中局で作成され運営陣から配布される。近年最中局では、「にんじむ(任意事務アクション)」の一環として作業効率の向上と印刷コストの抑制等を図るべく、ホームページ広報やEメール連絡への切り替えによる「ペーパーレス化」を推進しているが、その進捗状況はあまり芳しくない。 ※運営陣体制終了に伴い、廃止。
楽団オリジナルグッズ .
現在編集中です
脚注 .
1. 2000年7月1日夜、01018が「古町パレードに出たい」と思いつき新潟の有力者に電話を入れたところ、偶然にも新潟在住の99年卒業生がその場に多数居合わせたため、あっという間にバンド結成と古町パレード出場が決定した。
2. 前々日(7月19日夜)、古町パレードに参加しない者も含め、99年度卒業生ひとりとして欠けることなく15人全員が上新町浜(現在は砂浜が消失)に集まった→「上新町浜の奇跡」。
3.古町パレードは、2006年を最後に開催自体が無い。
4.初の西高外入学生を迎える。2013年現在、非西高出身楽団員は楽団全体で50.7%、在籍生では75.0%を占める。
5.楽団初の県外演奏活動となる。新潟西高サッカー部はベスト16入りを果たす。