楽団「現在進行形」情報 15.10.18 掲載

 

  楽団もめし構想 「2015年めし夏」結果と今後について(長文注意!)

 

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 別件「うちだいどころ」記事でお知らせしたとおり、「めし夏」は楽団の現状について「黙認」という結果(=楽団意思)をもたらしました。

 「意見無し」は開始前から想定された既定路線の終着点でありますが、これを機に終わること、そして始まることがたくさんあります。この2年間と同じく、これからも今までどおりただ時を重ねるだけの楽団。しかしその中に2年に1ヶ月だけ、形式的だけでも「節目」を設けることで、今後も楽団は内外に体を成すことができます。

 「ルールは無いほうがいい」

 かつて楽団の運営を行っていた楽団員さんが、その運営を離れた直後に放ったお言葉です。

 たしかに、ルールは無い方がいいですね(楽団員ひとりひとりが集団内で適時適宜、状況にふさわしい行動がとれれば、という最前提がありますが、それは置いておいて)。それなのに、なぜ「もめし構想」という新しいルールを作ったのか。

 それは、「ルールは無いほうがいい」、この言葉があるからです。

 一見、矛盾しているようですね。ではそもそも、なぜ楽団には数々のルールが存在したのか。2013年以前の楽団活動に参加されたことがある方はお気づきですね、貸したものが返ってこない、催促すれば文句しか返ってこない、何かをするにつけ批判される、常に感覚や感情が優先されるが収拾されない、やると決めたことをやらずに放ったらかしなどなど…こんなところです。

 さて、もちろん楽団に必要の無いルールは無くさなければなりませんね。しかし、それらのルールを取捨選択できる立場(過去に存在した「運営陣」)にありながら、無くさない。むしろ、ルールがあることをある意味で「利用」して、それを無くすどころか「ルールがあることが悪い」として楽団内の様々な不具合の理由・原因をそれらのルールに擦り付けられてきました。その先にはめんどくさくなって、閉塞感という感情を大義とした「解散」という中途半端で腰砕けなお笑い終末思想的な動きもありました。そして、(そのルールの一つによって)ルールを無くせる立場を離れたことを好機とばかりに、「ルールは無いほうがいい」という言葉で、運営硬直・楽団低迷の原因をそれらのルールの存在で仕立て上げるに至りました。大切なことなのでもう一度記します、直前までルールを無くすことができる立場でありながら、その立場を離れた直後に「ルールは無いほうがいい」としたわけです。「いい逃げ」、「言った者勝ち」…少なくとも2年前、そしてその後の2年間の楽団では、ルールを運用または中止するのではなく、ルールの存在自体を批判することが正当化の常套手段であったわけです。

 こういうことが当たり前に行われてきた過去から、そしてその「ルールは無いほうがいい」というご意見からも、立場に関係なく、楽団員であればだれでもルールを無せるためのルールが必要ですね。

 「ルールは無いほうがいい」

 その貴重なお言葉を、「いい逃げ」「捨て台詞」としないために、さあどうぞ。

 楽団員であればどなたでも、気に入らないルールをすっきり無くすことができますよ。

 無くさないのであれば、残りますよ。

 批判や原因を擦り付ける対象が、時間的な区切れで無くなってしまうのは、常に「後付け」の手法を連発されてきた方にとっては非常に残酷なことかと推察いたしますが、

 それが「もめし構想」です。

 

 諸悪の根源である諸々のルールそして最中局を追放するに至った折には、「もめし構想」のルールを無くすこともお忘れなく。

  また2年後にお会いしましょう。

 

 この楽団に文句と不満は尽きません。

 しかし、文句や不満があることでうまくいくことがこんなにたくさん!

 いつか、

 「文句が出ないことが不満」

 「不満が無いことに文句を言う」

 …ここまでたどり着くするその日まで。

 楽団が行き着く先には、どんな文句と不満に出会えるでしょうか。

 それもまた、お楽しみですね。

 

  「トゥーイヤーアフターのサマーまでに、文句をトゥギャザーしようぜ!」 ルール大柴

 

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