発 表 日

発 表 者

論 文 名

 2010.6.27

01018

 「校章バッジ適正化計画」

 

 

 楽団うちの大学の活動特色のひとつに「単位制度」があります。楽団活動の規模に応じ単位数が設定され、活動終了とともに参加者(受講生)の保有単位に加算される仕組みです。この単位取得(活動参加)による判断材料(=有形的な変化)として、単位バッジ基準があります。本文では、この単位バッジについて、その変遷と目的を裏話を混ぜながらご紹介します。

 2002年 単位制導入

 2003年8月24日 単位バッジ制度を導入(満了基準は以下の通り)

  白章…0単位〜 黄章…4単位〜 赤章…8単位〜 青章…16単位〜 紫章…32単位〜 銀章…64単位〜 金章…128単位〜

 2005年8月21日 学籍リボン導入 バッジ番号管理開始

 2007年9月 紫章以上のバッジ取得者から構成される活動事後検証委員会「紫章会」開始。

 2008年3月 単位バッジ作製工程変更による“50番台バッジ”導入・バッジ管理運用基準発表   01012が初の銀章取得

 

 楽団活動2年目の2002年10月、単位制度を導入(01年・02年度活動履歴分については遡及して認定)し、「単位認定証」を発行しました(2010年現在、この単位認定証は廃止・「個別要点履歴票(通称“こより”)」で代用)。しかし単位制導入後、楽団員からの率直な疑問「単位を集めるとどうなるの?」という質問が多く寄せられました。それに応えるべく2003年夏、取得単位に応じて昇格する「単位バッジ制度」を導入しました。因みに初めて出庫された03年度製のバッジは、日本海上を航行するフェリーの中で作製されたものです。

 当時のバッジの作製工程 �ヽ匿Г�りがみ(これが各単位別の章輪色になる)から直径約18mmの円を切り抜く、�⇔仗Г巴碓貎Д灰圈爾靴森讃枠撚爾鯆招駄�15mmの円で切り抜く、約20mmのアルミ製円盤に�,鉢△鮟鼎佑萄脳緝瑤吠欷逎侫�ルムを貼付。円盤の裏に安全ピン(約18mm)を(接合部は「波釘」から加工)設置し、完成。 このように、単一工程ながらも1個あたりの生産に非常に手間のかかる作業でした。また、校章印刷の際の使用するコピー機により色濃度が異なったり、ハサミでの各円の切離作業による微妙な形状のちがいなどから、生産時期などによりバッジ完成品(品質)にばらつきがあり、まさに「手作り」なバッジでした。そして、とても壊れやすい(安全ピンから円盤部の脱落)ということも確認されていました。

 この頃の楽団は夏季限定の活動形態であったため、1年後の活動時には昨期に取得したバッジを紛失している楽団員が多く見受けられました。その紛失した楽団員の多くは、上記の「壊れやすい」=「破損した」ことを理由にしていました。第5期(05年)までは、「破損」(紛失)した楽団員にも無条件で新しいバッジを出庫していたため、活動本番の前日は寺キャンでの「バッジづくり大会」が恒例でした。このようにバッジを作製・準備する楽団員は時間と手間をかけながら用意するも、紛失する楽団員は「壊れやすくて」という理由で自らの紛失を「破損」によって正当化する、このような状態が続いていました。因みに「破損」と「紛失」の決定的な違いは、安全ピンの残留の有無(装着中に破損・脱落した場合は安全ピンだけが残る)であり、「破損した」として申告・出庫を求める楽団員の数に対して、その安全ピン部品を提出して「破損しました」と名乗り出る楽団員(本当に「破損」したことによる適正な交換申請)はごくわずかでした。

 この状況の改善策の実効手段として、接合部を「半田づけしてみては?」という提案があり、円盤と波釘を半田で付けてみました。しかし接着作業時、半田ごてからの熱で円盤が非常に高温になり、校章と色輪(素材・紙)は焼け焦げ、保護フィルムは溶けてしまうという最悪の仕上がりになってしまいました。これには作業中の楽団員一同で爆笑するも、残ったのは半田ごて(980円)とヤニ入り半田(1m)、これは2010年現在も楽団備品として保管されています。この奇策(結果大失敗)に代わる改善策には、使用する接着剤の変更が有効でした。それまでは、「限られた時間で多数のバッジ生産」という時間短縮を目的に、「ア□ンア□ファ ゼリー状瞬間」(一応商品名を隠しています)を使用していました。たしかに速乾・強固ではあるのですが、乾いた後に集中的な衝撃に弱いという弱点がありました。また、乾燥と同時に粉状の物質が現れ、円盤表面にも付着することが困りものでした。そこで、「コニシ ウルトラ多用途SU」を実験的に使用してみたところ、これが合致。固化後も柔軟接着で接合面を広域に維持し、脱落率はそれまでの1/10以下になりました。バッジの構造強化の実行手段はこれで完了しました。

 次に、改善策「確認手段」です。これについては、2005年に「学籍リボン」を導入することで対応しました。安全ピンのバネ(丸)部分に、各楽団員固有の学籍番号の入った学籍リボンを装着することにしました。手芸屋さんなどで販売されているアクセサリーキットのフックのようなものでバッジと付属させるため、単位昇格によるバッジ交換時も容易に着脱できます。そして、前述のようにバッジ(円盤部)が脱落・破損した場合でも、安全ピンとこの学籍リボンは残るので、紛失した楽団員はこの学籍リボンが無ければ「バッジを無くしました」と申し出なければならなくなり、「壊れやすい」を理由に「紛失」を「破損」に偽装することができなくなりました。偶然かわかりませんが、この変更を境に、正直に「紛失した」と名乗り出る楽団員が多くなったことも事実です(学籍リボンがある場合は「脱落・消滅」としています)。また、各バッジに番号を貼付したため、各楽団員へ出庫したバッジを番号管理できるようになりました。

 2008年3月、作製工程と管理状態を大きく変えました。それまでは、「Aさんが8単位で今回赤バッジになるから、Aさんが返却する黄バッジを4単位のBさんに出庫して、そのBさんが返却する白バッジから安全ピンだけ外して16単位のCさんに出庫する青バッジを作って・・・え!Aさんが黄バッジ紛失したって!?・・・そうしたらこれから急きょ黄バッジも作って・・・」 このように自転車操業のごとく、本番前日はバッジのことだけも非常に神経をつかっていました。こうした慢性的な事態からの脱却を目指し、余剰すぎるほどの在庫を確保することにしました。そして生産したその数、125個。第3期から7期までの5年間で作製・生産したバッジ総数は88個であり、「125個」という数がいかに在庫として出庫管理に余裕をもたらすかは一目瞭然の数字だと思います。作製工程の変更点としては、円盤に装着する校章と色輪を、従来の紙から光沢フィルムに変更し(校章・色輪を合成印刷=光による劣化に強い)、安全ピンを金鉄から銀鉄(錆びに強い)に、管理番号シールをテプラで貼付しその上面にフィルムで保護等(誤って洗濯しても番号読み取り可能)、各々を変更しました。この際に生産されたバッジを、管理番号が51番から始まることから「50番台バッジ」と設定しています(外見・用途はそれ以前のものと大きな相違無し)。この「50番台」は第7期末以降、新入生・単位満了者から優先的に出庫・交換が始まり、2010年現在、ほぼ全ての在籍生がこの50番台バッジへの移行が完了しています。これと同時に「バッジ管理基準」を策定し、主なきまりとして「バッジを無くして昇格する場合は、作製代金を払う」「学籍リボンは複製できる」「バッジを個人で管理したくない楽団員は、楽団に預けることができる」などを明記しました。尚、この50番台バッジ初出庫時、01012が初の銀バッジ「S51」を取得しました。

 いままでもこれからも、当然のように「あたりまえ」に運用されていく単位バッジですが、このように過去には数々の変遷を辿って現在に至っています。上述のように「前日作製」を繰り返しながらも、2003年の開始から現在まで1度たりとも適正に出庫されなかったことはありません。この実績だけが、この単位バッジ制度の根幹を築いています。

 3年前から出演先では楽団ハッピを着用し、バッジを装着しなくても外部から見た目の統一感は保たれています。近年ではバッジ制度の「あたりまえ」が故に、バッジ装着率が低下しているようです。楽団活動で、バッジを装着しなければならないきまりはありません。正直、管理が面倒な楽団員もいることでしょう。しかし、このバッジは取得することで、個人から楽団(集団)の一員として個々の結束を示し、草創期の楽団員から現在へ集団が継承されている「つながり」を表す大きな意味を持っています。

 楽団員が誇りをもって自ら校章バッジを装着するようになった時、この楽団うちの大学が内部から真の評価と支持を受けている証だと思います。

 いま一度 思い出してみてください、この楽団で初めて校章バッジを手にした時のことを。

 

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