(このページは、楽団うちの大学さんのサイトの一部をお借りして掲載しています)

青空になると、いいよね! 15、一期、イチゴ…

 

 1998高総文祭鳥取大会 

 鳥取、おぼえていますか?高文祭(総文祭)=全国高等学校総合文化祭。「文化系部活動の甲子園(またはインターハイ)」とも呼ばれる、夏に全国(一部は海外からも)の文化系部活強豪校が開催県に集結する全国大会ですね。私たち吹奏楽部が参加した1998年の開催地は、鳥取県でした。

 みんなの名前も載ってたよ! わら半紙、テストを思い出すね…

 総合プログラムと旅程表/この他に「保護者のみなさまへ」「参加応諾書」「領収書」などなどたくさん出てきました。

 今回は、奇跡的に発見されたわら半紙の鳥取旅程表や薄れつつある記憶を搾り出して、またその約3年後(2001年5月)にaiwaくん(1コ下のチューバ吹き)とバイク旅した山陰路の写真で、1998年夏の鳥取旅路をたどってみたいと思います。

 

 新潟県高文連の事務局が西高にあるご縁もあったのでしょうか、高文祭鳥取大会出場が決まったのは春ごろかな。それはある日、tuttiの冒頭で公先生から発表されました。8月7日の鳥取市内パレードに出場、(コンクール下越地区大会を突破していれば)9日に新潟県大会予定という強行日程で、航空機での帰路まで設定されていた鳥取旅程。未知の地・鳥取。「鳥取?取鳥?鳥島?島根?」、ポカーンから始まった青春のたった3日間ですが、いまでも想い出すこと、いまだから新たに発見すること、たくさんありますよ。

 西荻窪のハローくんの方が有名みたい。こちらが元祖なのにね。

 鳥取大会マスコットキャラクター「ハローくん」/Helloと波浪をかけているそうです。かわいいね。

 旅程表によると、8月5日(水)22時16分新潟発の「急行きたぐに」で出発予定。夜にみんなで集まるなんて、どんなにワクワクしたことだろうなぁ、と思いますよね。でも、ちょっと事情が違って。前日の4(火)は未明からの豪雨。朝、よしだ先輩から部活中止の連絡が来ました。当時は携帯電話(PHS)の普及前夜みたいな時期。だから自宅電話の連絡網、というより男子部員はひとくくりで。ポケベルはあったね。男子全員に連絡したら、やませんを除く男子みんな「上の人(お家が丘の上とか途中にある人)」なのよね。たかしさんは丘の頂点みたいなところに住む人だから、「たしかに雨は強いみたいだけど、下(大堀幹線周辺)はそんなにひどいんか?」みたいな感じで、こっちは電話しながら玄関ぎりぎりまでに水が迫っている状況で、同じ西新潟地区(現西区)でも全く状況が違うの。「上」からの雨水が全部「下」に溜まる、格差社会ならぬ高低差社会か。この豪雨で越後線の寺尾駅と小針駅間の線路路盤が流出して不通に。翌日、鳥取への出発は坂井輪中学前のバス停で、同じ「下」に住むやませんとの床上・床下浸水の報告会から始まりました。

 

  ともあれ21時15分に新潟駅に全員集合。その年の春に卒業されたひでかず先輩とかきもと先輩も、演奏補強と引率で同行してくれました。強力な援軍、やっぱり男子が増えるとうれしいよね。22時16分、「急行きたぐに」出発。かねぱらくんが若すぎるこの写真は車中で撮った(公先生が撮ってくれたと思う)、唯一?の男子三世代集合(全員じゃないけど)。

ベットは下・中・(せま〜い)上段。前年・奈良大会(京都)へ向かう「きたぐに」に続き、2年連続上段でした(超せま〜い)。

 「急行きたぐに」車中にて(都合で極小サイズですが)/今はもう走っていない「急行きたぐに」、高校卒業後もお世話になりました。

 

 8月6日(木)06時14分、京都駅着。そのまま「自由行動」です。男子7人は銀閣寺?清水寺?へ(よくおぼえていません)。参道途中のおみやげ屋さんのキャッチセールス(八つ橋の航空便)に引っかかりつつ、「昼ごはんは食い倒れよう」との思いつきで大阪へ。電車の本数の多さに驚いたり、京都駅の案内メロディーがカルミナ・ブラーナ(この夏の自由曲)Ecce gratumの3小節に似ていたり(0:39あたりから)、初めての「他人丼」(鶏と豚と牛の肉が入った丼)に一同で感動したり。当時は昼休みに売りに来る万作さんのどんぶりシリーズしか知らなかったからなぁ。

 (旅程表によると)14時21分京都発、「スーパーはくと」で鳥取へ。快適な特急で、はかないけど、はくと。

 17時24分鳥取駅着。鳥取駅はホームが2階でね、新幹線が停まる駅舎みたいに立派。それから、とにかく暑い印象。夏だからあたりまえだけど。

 こちら北口。南口には大黒様と白兎の像があるみたい。

 鳥取の玄関口、鳥取駅(2001年5月撮影)/立派ですわね。

 駅舎全体を覆う屋根は無いんかーい、って思ったことない?ある意味、都会的。

 鳥取駅ホーム(wikiさんから拝借)/非電化区間なので架線が無くてすっきりですこと。

 バス移動中、ガイドさんが日本で一番大きい池・湖山池を紹介をしてくれました。「湖」なの?「山」ではないけど「池」なの?新しくも古くて今っぽい新古今和歌集みたいだね。宿泊地・浜村温泉浜村ビューホテルへ到着。到着早々、女子部屋から呼び出しが続々と!ちょっとした英雄気分。その理由は…ここでは伏せますね。夜は宿内の「漁火」というお店で晩ごはん。この宿には同じく高文祭参加で北海道代表の恵庭北高校吹奏楽部さん(マーチング代表で出場)が宿泊中で。そしたら公先生の提案で、「パート別で交流ミーティングをしよう!」ということに。恵庭北高さんは道内屈指の吹奏楽実力校で、部員がそれぞれの役職の名刺を持つほど組織化された団体。対する西高は…保険証のコピーの携帯が精一杯的な。でもね、「北海道って、GLAYですよね!」「新潟の雨、大丈夫でしたか?」から始まり、恵庭北高さんも学校の周りが田んぼ(畑?)に囲まれてるとか、「稲穂の波」(当年の課題曲)がよく似合う雰囲気だとか、「高校生」や「吹奏楽」で共通する話題はたくさんあってすぐに打ち解けて。おまけに「部屋のテレビの有料チャンネルは・・・」とか、「男子」でも共通する話題(?)がたくさんで盛り上がりました。

 

 翌日(8月7日(金))は朝ごはん前にたなべ・おっしーと浜村温泉周辺を散策。観光地だけあって、浜村温泉駅周辺は観光バスがたくさん。鳥取のバスは「日本交通」とか「日ノ丸自動車」とか、それはたいそう立派な名前が多いんですね。そんな記憶あり。

 中を読んでも、あんまり憶えていないものね。 

 仁風閣とわらべ館のパンフレット

 (旅程表によると)09時30分、浜村ビューホテル出発。白兎海岸、わらべ館、仁風閣、鳥取砂丘(順番は記憶が曖昧なんだけど、旅程表では鳥取砂丘で昼食なので、たぶんこんな順番かと)。

 「♪大きな袋を肩にかけ」の白兎海岸、因幡の白兎の話はこれからずっと後に知るけれど、兎もかなりよくないです。

 バス停上下に隙間だらけ、海風ビュウビュウ、寒かった〜

 白兎海岸のバス停(2001年5月撮影)/ウサギのように跳んでいるのはaiwaくん。このバス停で野宿。

 弥彦さまもそうだけど、神様とウサギさんは身近な接点が多いよね。

 (おまけ)出雲大社の大国主大神(大黒様)と白兎(2001年5月撮影)/手前の石垣も兎に見えることない?日本神話を大切にする山陰の風土、好きだなぁ。

 わらべ館はレトロなおもちゃがあったり昔の教室があった。仁風閣はシルバニアファミリーのお家ような白い洋館で、全員で記念写真を撮ったようです(141004の公先生会でほりこし先輩から見せていただきました)。鳥取砂丘は大きかったね!ラクダがいたね!砂は天然記念物なので持ち帰っちゃいけないとガイドさん、だけど売店ではたくさんの空きビンが売っているのね。矛盾というには軽すぎる、大人の事情を知りましたよ。砂丘の入り口、「砂丘ユニオン」で昼ごはん、カニを食べました、とはある理由で男子はよくおぼえています。ガイドさん曰く、鳥取の名産はらっきょうと二十世紀梨。もうすぐ21世紀になる気はしてたから「二十歳(はたち)になったら21」だとは思っていたけど、まさかUXになるとはね。

 砂漠を想定した映像でもよく使われる鳥取砂丘。スケールが大きい! 砂丘に落書きすると罰金らしいよ。

 大迫力!鳥取砂丘(2001年5月撮影)/昔の課題曲で「風紋」っていう名曲あったよね。

 「おたのしみ券」、どこに行ったかな〜

 砂丘ユニオン(2001年5月撮影)/いい名前です。

 その後は、鳥取西高の体育館でリハーサル。あまり記憶にないのですが、パレードは栃木県の合同バトンチームとの参加だったようです。きっとここで初顔・初パレード合わせだったのでしょうね。バトントワリングありのマーチングには不慣れで、ごめんねごめんねー

 鳥取市街の略図、シンプルでわかりやすい! たくさんの団体が参加しています。

 パレードコースとパレード出場校(総合プログラムより)/私たち西高・栃木バトン連合は12番スタートです。

  国道53号線、若桜街道を貸し切ってのパレード。鳥取県・鳥取市の意気込みが伺えます!

 鳥取市街図(現在)/右上・鳥取県庁から「A」地点(鳥取県観光物産センター)までがパレードコース。

 パレード当日は、この建物のすべての窓から県職員の方が手を振ってくれました。

 パレードスタート地点の鳥取県庁(2001年5月撮影)/見るからに「ケンチョー」って感じの、重厚な建物ですね!

 いよいよ本番!パレードは鳥取県庁前から出発、の前に、地元テレビ局から取材インタビューされました。結構タジタジ。予定では17時38分開始とありますね。何の曲を演奏したのだろう?たぶん(ちがったら教えてね)、当時の十八番「ポケモン」に並ぶ西高ブラス定番「キングの1・6」かな(どっちが「1」で、どっちが「6」か忘れちゃったけど、とりあえず UNITED NATIONS と Night Flight)。鳥取市のメインストリート・若桜街道を約1.5km、県庁から鳥取駅近くまで(ストリート・ビューで、ビューっと見てみてね)。これがかなり長くて、白ジャケと楽器があんなに汗まみれになることはないくらい、途中暑さと疲労でクラクラしながらのマーチング。時間は猛暑の夕方、時期が時期だけに、古町パレード(1km弱?)内野まつりの四ツ角十字パレード(3km強?)よりきつかったわけで。役員さんから「橋を渡ったらすぐゴールだから、がんばれ!」「橋までがんばれ!」と何度も励まされたけれど、その「橋」がなかなか現れないの、そして橋を渡ってからも長いの。蛇足ですが、この橋、若桜橋という名前のようです。あの名作映画「男はつらいよ 寅次郎の告白」で、寅さんがこの橋のたもとで商売をしているシーンがあります。ちなみに、この映画で鳥取路を一人旅する泉(後藤久美子さん)が、高台の公園山道でふもとの高校のグラウンドでマーチを演奏している吹奏楽部を眺めながら、満男(吉岡秀隆さん)との吹奏楽部での想い出を回想するシーンがあるのね。ここ、もしかして前述の鳥取西高(背後に高台・鳥取城跡公園あり)か!?と思ったものの残念。調べてみたところ、当該シーンのロケ地は倉吉市の小学校だそうです。

 後方の薬屋・吉田一陽堂さんは、いまも元気に営業中です。

 若桜端のたもとで商い中の寅さん(YouTubeから拝借)/「若桜橋」は鳥取市と若桜町にあり、どちらも有名。

 やっとその若桜橋を渡って、ゴール直前のところで前方で複数の団体が大渋滞、その間ずっとマークタイム、何と殺生な…。やっとゴールに着いたころにはあたりは薄暗くなっていて、タクシー?か何かのたくさんのテールランプが印象的で目に焼きついています。

 8月中旬に行われる「鳥取しゃんしゃん祭」、一度観てみたい!

 パレードゴール地点の鳥取県観光物産センター前(2001年5月撮影)/鳥取駅まで歩いたような記憶もあるのだけど。

 クッタクタになって着いた宿・浜村ビューホテルの2日目。晩ごはんを満腹に食べたら、宿の女将さんが近くの海岸で水中花火大会があると教えてくれて、まだ元気のある数人で観に行きました。きれいだったね、迫力あったね、意外にたなべがこの花火のことを今でもおぼえていて、驚き。

 やわらかい温泉、露天風呂あり、プールあり、魚もおいしい、もう申しぶんありませんな。 10数年間入りっぱなしのマッチ箱。いつの間にかレア物です!

 浜村ビューホテル(2001年5月撮影)といまも楽器ケースに眠るマッチ箱/たくさんの想い出ができました。

 お世話になった浜村ビューホテルさん、いまは名前が変わったようですが、浜村温泉唯一のお宿としていまも営業されています。これまた蛇足ですが、火野正平さんが自転車で全国を旅するNHKの番組をご存知ですか?去年だったかな、ほぼ初めてくらいにこの番組をぼーっと視ていたら、火野さんがこの浜村温泉街を自転車で駆け抜けてるじゃありませんか。そして、別のロケ中の役者仲間さんと偶然に再会するのが、この旧浜村ビューホテルの前という。偶然に視た番組で遠い街のどこか見覚えのある風景、一瞬何が何だかわからなくて目が点になってしまいました。あるんですね、こういう不思議なこと。

 鳥取砂丘、空から見えたかな?

 鳥取空港(2001年5月撮影)/帰路もたしか全日空便だったよね。

 旅程最後の8月8日(土)、鳥取空港から空路で帰路につきました。ここからの記憶は本当におもしろいくらい全く記憶に残っていないのだけど、旅程表では鳥取空港09時45分発、羽田に10時55分着。モノレールで浜松町で乗り換えて、東京駅から新幹線で新潟駅15時19分着、とのこと。かすかに記憶してるのは、帰宅したら水害はすっかり片付いてて男子全員分の航空便八つ橋が届いていたことと、おみやげもって新潟まつりに行ったことくらいかな。

 空路まで使った帰路。翌日は県大会、だったはずなのだけど、地区大会で敗れ。「下越地区でコンクールの自由曲でカルミナを演奏した高校は、必ず西関東(関東)大会まで進んでいる」というジンクスがあったのだとかで(公先生談)。それも含めて、カルミナ・ブラーナが聴こえてくると今でもちょっと切ない気持ち。県大会、出たかったね。

 しっかり製本してありました。

 稲穂の波とカルミナのスコア/いっしょに出てきました。

 別紙によると、11日〜14日は胎内合宿だったそうです。そして8月下旬にはマーチングコンテスト(パレコンに加えて、西関東枠を広げる事情で体育祭のフォーメーションでフェスティバルの部にも出たり)でしょ。忙しかったけど、熱い98年の夏だったね。

 同世代の高総文祭経験者と、「ハローくん」「ベニーちゃん(山形)」で盛り上がれるのも、うれしい瞬間です♪

 ハローくん/高橋の楽器ケースに健在ですよ。

 うちら男子は合唱部のお手伝いで前年の奈良、翌年の山形大会にも出してもらったんだけど、本業・吹奏楽部での鳥取大会は特に憶えている感じ。これがきっかけで山陰の魅力に目覚め、進学に鳥取大学や島根県立大学を考えたり、aiwaくんと出雲大社までツーリングしたり、鳥取・島根の企業の就職試験を受けに行って撃沈したり、鳥取に嫁入りしたまきこさまをうらやましく思ったり、その他にも山陰物語は数々。それら全部、この98年高文祭が起源なんだろうなと思ったりします。山陰、いまでもあついぜ!

 

 追記:このページ掲載後、たくさんの「なつかしい!」の声をいただきました。それだけでなく、鳥取をきっかけに運命の奇跡があったり、新たな発見があったり、ここに載せたいくらい いろいろ…うれしいよね、そういうの。

 内野も日本海で鳥取につながってると思うと、わくわくするね。

 最後に鳥取砂丘をもう1枚…じゃなくてこれは内野上新町浜(撮影日不明)/鳥取砂丘は上新町浜の何倍?

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