(このページは、楽団うちの大学さんのサイトの一部をお借りして掲載しています)
新潟の塔
沖縄 - - - 2015年は戦後70年。加えて沖縄県の知事さんと政府の対立が連日ニュースになっていますが、このページでは政治的な発信をするつもりはまったくありませんよ。
憶えていますか、沖縄修学旅行。1998年、高2の冬でしたね。その1年前、1コ上の先輩方の沖縄旅行でトラブルがあって、翌年の私たちの旅行では季節外れ+個別自由行動が極端に制限されて、せっかくの沖縄なのに海にも入れずに。
個人的な沖縄の想い出といえば、海洋博記念公園から悪友と眺めた海に浮かぶ巨大な鉄の塊=アクアポリスの廃墟とか、2、3日目のホテルがどう見ても分譲マンションを転用したホテルだったとか、夜に数人でホテルから抜け出して先生に見つかって、怒る側(先生)も怒られる側(私たち)も「あれ?これ授業中の『中抜け』が見つかったセリティー前の光景と変わらなくね?」とお互い心の中で気づいていたに違いないとか、本当に大した思い出は無いのですが。
先日新聞で、元ひめゆり学徒隊の方々による戦争体験講和を終了するという記事がありました。その理由は、「高齢で体力が限界にきた」、「戦争を知らない世代に話が伝わりにくくなった」とのことでした。前者は戦後70年という時間の経過からやむを得ないことですが、後者については思い当たる記憶があってね。
修学旅行1日目の夜、元ひめゆり学徒隊の方からお話していただく時間がありました。その講和中、聞く側の私たちは終始騒がしくて、そんな中でも一生懸命お話してくださる元ひめゆりの方。申し訳ないことですが、私もお話いただだいた内容のほとんどを憶えていません。騒々しい中で行われたその講和の終了後、1年の時のクラスメートのいくみがとても悲しそうな顔で、「本当に恥ずかしかったよね」とポツり。それがずっと記憶に残っています。「戦争を知らない世代に話が伝わりにくくなった」、16、7年前のことですが、遠い島での遠い記憶が重なります。
2日目(かな?)、摩文仁の丘、沖縄平和祈念公園の新潟の塔へ慰霊。公園内には各都道府県1塔ずつ慰霊塔(碑)があって、新潟の塔に向かう途中にはそれぞれ趣向を凝らしたデザインの各県の塔を見ながら移動。そして、たどり着いた新潟の塔の形は、(恐縮ながら率直に言って)大胆にシンプルだなぁと、思いました。でも、新潟らしいような気も。
新潟の塔/安田産のみかげ石。新潟から沖縄へ、はるばる運ばれたようです。
新潟の隣接県の塔は、このような塔です(沖縄県平和祈念財団のHPから拝借)。
山形の塔(山形県)
ふくしまの塔(福島県)
群馬之塔(群馬県)
信濃の塔(長野県)
立山の塔(富山県)
(先日記事になっていましたが)建立40年を迎えた新潟の塔は老朽化が著しく、今後改修を予定しているとのことで、新潟県ではこの改修の募金を行なっているそうです(2016年3月末まで)。
ご関心のある方はこちらへ→ 新潟県HP 戦没者慰霊碑「新潟の塔」改修及び県民募金の取り組み
たくさんの人が、いろいろな思想・手段・立場から築こうとしている「平和」って大きすぎてよくわからないけれど、ちょっと考えてみたいよね。
今年は戦後70年。“平”成と昭“和”で「平和」になるみたい。