(このページは、楽団うちの大学さんのサイトの一部をお借りして掲載しています)
緊急レポート! 内野上新町浜の現在
先日、新大前でのプチ同期会の翌日、上新町浜まで足を伸ばしてみました。上新町浜、どうなっているか見てみたいでしょー!?(見たいって言って…)
国道402号線から上新町浜への入口
入口は、強固に封鎖されています。あれ?脇道があるぞ!!(わざとらしやー)
浜へ続くじゃり道。
このあたり、記憶ありませんか?男子は、この小高い丘を越えたら海だー!って、毎回わくわくさせながらチャリでこの砂利道を駆け上がったものです。
いつまでも変わることの無い、日本海。
海、ウミ、うみーーーー!!!!
うだるように暑い昼下がり。夏真っ盛りなのに、だれもいない、2015年夏の上新町浜です。
上新町浜から四ツ郷屋浜(巻方面)を望む。左2015年、右2000年ごろ。
まぁなんということでしょう!裸足で夏を感じるやさしい砂浜はすっかり姿を消し、延々と続く無機質なコンクリート護岸が現れたではありませんか(非劇的改造アフター・ビフォー)
コンクリート護岸に打ち付ける波。
砂浜に打ち寄せる波、コンクリートに「打ち付ける」波…同じ波なのに、こんなにも違って感じてしまうものでしょうか…。
砂浜野球、水中サッカー、焚き火、花火、恋バナ…裸足で遊んだ砂浜は、もうありません。
コンクリートの波打ち際が延々と続きます。競艇場の観覧席ってこんな感じ?
でもね、しっかりした護岸のおかげで、上新町浜がまだあるんだよね。
海さん ありがとう。お魚さん ありがとう。業者さん ありがとう。
コンクリート排水溝。
砂浜の入口よりちょっと内野浜よりに、常時チョロチョロ流れている小さな水の流れがあったこと、憶えてない?雨上がりにはかなり大量の水を排出していて、その水が出てくるところはちょっとした大きな穴で洞窟みたいになっていました。当時は「真水だー」って、手や足を洗ったりしてたけど、多分そんなにきれいな水ではないよね。そんなチョロチョロ水の流れ道も、こんなに立派な排水溝になりました。
コンクリートの道が、ずっと先まで続きます
河川堤防のようで、海岸にしてはちょっと物足りないですね。いまの現役生さんは、授業中の中抜けや、部活のあとの打ち上げ、好きな人とデートで、この上新町浜に来ることって無いのかしら?チャリの2ケツは、いけません!見られてます!
電信柱、浜茶屋(番屋?)跡付近。
上記の比較写真のように新旧を比べるに、そして昔と今をつなぎ上新町浜を確認する象徴的な構造物となってしまった「電信柱」。某大手通信会社の設備のようですが、スピーカーのようなものが付いているので、防災無線の広報の役目もあるのでしょうか。土台のコンクリートはやや新しく、2000年時のものとは違うようです。このあたりの石は海に洗われたものではない角ばっているものも多く、工事で搬入された石がたくさん混在しています。そして、いまも昔もかわらないこと・・・PHSは圏外なのです。
船底が痛んでいる船が一艘、横たわっていました
浜茶屋なのか番屋なのか、はたまた舟屋だったのか、この付近に木造の建物がありました。1999年春ころ、男子部員で焚き火で夜明かし(通称「激録24時」)をしていたら、夜明けに漁師さんに「おーい!手伝ってくれやー」と言われ、トラックから大きな網を下ろして、船が沖に出て網漁が始まる!うちら男子部員5・6人と漁師さん5・6人とで力をあわせてこの網を一気に浜へ引っ張りました。そうしたら網の中にはたくさん、本当にたっくさんの魚たち!それを全部拾って、この建物に持って行ったら中にも数人の漁師さんやおかみさん?がおり、すぐに魚をさばいて刺身にしてくれました。そして漁師さんから手伝ってくれたお礼にと、お土産にたくさんのお魚と1000円札とビー…(未成年だもんね)…玉の入ったラムネっぽい麦的な大人の飲み物をいただきました。そのいただいた魚を前日からの焚き火で焼いて食べて、ビー…を飲んで、そのうまかったこと!お家に新鮮な魚を持って帰ったら、(朝帰りはさておいて)家族によろこばれたー!いまでも男子で集まると、あれは一体なんだったんだろうかとその話になる、青春のいい想い出です。
何を規制しているのかすらわからなくなった道路標識
雑草の中に、1本の標識を見つけました。かろうじて「自動車・原付 →」が読み取れます。自動車も、原付も、人も、この砂浜にはもう来ません。地図から消し忘れられ、時代から取り残されたような上新町浜。
秋はもうすぐそばまで来ているようです。
帰り際、ふと足元に薄いピンク色の石を見つけました。
できそこないの、イチゴみたいな石ころ1つ。
ここは内野上新町浜。2000年8月19日に15人全員が集まった、いつまでも想い出の場所です。