(このページは、楽団うちの大学さんのサイトの一部をお借りして掲載しています)
上新町浜の奇跡
2000年7月1日、大学に入学してからは短期アルバイトに明け暮れていたたかはし。その日の現場は愛媛県文化会館で行われるヘヴィメタバンド SEX MACHINEGUNS さんのコンサート会場整理。いやぁ、噂には聞いていたけれど、ヘヴィーに、メタメタにつかれたバイトでした。でもね、会場の盛り上がりは最高で、ヘヴィメタとは無縁だけどそこは「音楽」。疲労困憊でもテンションは高くて、なんだか心が弾むような気がして… 気がついたのは「楽器が吹きたい!」気持ち。そのバイトの帰り道はふらふら自転車で帰りながら、頭は「新潟で、みんなとまた演奏したい」ことでいっぱいでした。そしたら目に飛び込んできたのは「大街道」=松山一繁華な屋根付商店街。古町みたい… あ、古町パレードがあるじゃん!
(西高1年生のときの古町パレード覚えてる?7月末、地区大会で敗れてから夏の予定が無くなっちゃった吹奏楽部。公先生は第一のO橋先生と仲良しで、8月下旬のマーチングコンテスト、本選後の第一さんと西高の合同で古町パレードに参加することになりました。たしか曲は「キングのマーチ 1と6」だったかな。いやそれはどうでもいいのだけど、それくらい古町パレードってのは緩くて、ある程度迫った日でも申し込み・出場ができちゃうイベントだったことを1997年の夏には知ってたわけで。)
「新潟のこと、思い立ったらまずさっくぅ」、もちろん即行で電話したのですわ。そしたらその日は土曜日、はなちゃん、ゆかぽん、まきこさま…(他にもいたらごめんなさい)の新潟組がさっくぅ家に泊まりに来ているではありませんか!何たるこの偶然!代わる代わるに電話が回って、話したいことなかなか伝わらなかったけれど、さすが!一言伝えればその場であっという間に話はまとまって、古町パレードに出ようと決まりました。
夏が来た!そして新潟に帰ってきた!(多分)2000年8月19日、翌々日に「新潟西高OBバンド」として出場予定の古町パレードの西高練習、その時、だれからともなく「練習の後、みんなで海行こう!」という流れに。
「(パレードには出ない)△△も新潟に帰ってきてるみたい」、「□□はいまから来れそう」、「○○も来るって!」
あれよあれよといううちに、その夕方にはパレードに出ない同期も含めて2000年卒吹奏楽部15人(+合唱練習後の男子後輩もたくさん)が上新町浜に大集合!何を食べたとか何を話したのかとか全く記憶に無い(むしろ翌々日の古町パレードに記憶もかなり薄い)のだけど、わずか5ヶ月ぶりなのに「ひさしぶり」の顔が全てそろって、とにかく楽しかった、そして嬉しかった想い出しかありません。これをたかはしは勝手に「上新町浜の奇跡」と呼んでいます。この歳になってまで想い出に生きているみたいでとても恥ずかしいんだけど、それを差し引いても胸を張って自慢できる数少ない想い出のひとつかな。
男子部員は金曜日の部活後→上新町浜で一晩明かしたりとかしょっちゅうやってたけど、同期で行った海の記憶も結構あるのよ。
2年生の定演後の春休み、3年生のクラス分け発表が生徒玄関に張り出されて、部活は無い日だったからだれから言い出したのかみんなで海(上新町浜)へ。まだ風が冷たい春先なのに、ぽかぽか陽だまりの清清しい日でした。
その夏「幻想」での大会後、男子は毎日合唱練習に集中していたところで、これまただれに誘われたか、同期のみんなで海(上新町浜)に行ったなー。「何で男子ってメールに「!」マークを使うの?」とか、それはそれは厳しい拷問 楽しい時間でした。
いつも夜になると女の子はさっくぅの家に泊まり、男子は浜辺で朝まで焚き火→たまにその後(砂と塩だらけの制服のまま)部活へ、この流れが常道パターンでした。
夏の内野浜
いまはすっかり砂浜が無くなってしまった上新町浜。
なぜか小田和正さんの「my home town」という曲を聴くと、いつも上新町浜のことを想い出します。