2014年(第14期)、もうすぐ創立13周年記念
特別企画 歴代スローガン・エンブレムの紹介
楽団員から寄せられる数少ない当ホームページへのご意見・ご要望の中で、過去にある楽団員から「昔のエンブレムも見たい」とのご要望がありましたが、そのままほったらかしていました。すみません。またこれとは別に、「創立10周年記念誌」発行についてもご希望をいただきましたが、肖像権や掲載内容についての調整がめんどくさい時代・状況になったので、あきらめました。しかしながら、それらのことはかすかにおぼえていましたので、かなりの手抜きですが「創立13周年ちょっと前記念ページ」として以下に掲載いたします。
2006年度 (第6期) 「動く!UCHIDAI 2006」
スローガン・エンブレム考案 : 01018 エンブレムの5色の輪は、楽団創立5周年記念を表しています。前年の「2005年ショック」を反省し、楽団員全員(ボーダー制採用)で5つのキーワード(輪)=「集まって」「考えて」「決めて」「動いて」「実現させる」によって成功させた古町パレード。最後の古町パレード(翌年から開催自体が消滅)に相応しい、総勢35人による「宇宙戦艦ヤマト」での大迫力パレードになりました。私たちの地元・内野の内野まつりバンドフェスティバル出場は4年目を迎え、すっかり秋の風物詩活動になりました。また、新潟国際情報大学吹奏楽部様と奏者・楽器・活動での交流「互助演奏」で、親交をさらに深めました。11月には5周年祝儀・盛り上がりそのままに古町音楽祭出場。古町を行く大観衆の面前で、初の楽団オリジナル曲「エガオフルマチ」を披露しました。 ちなみに第6期エンブレムは、03年 古町パレードの10周年を祝ったオリジナルエンブレム(一般の部3団体で装着)と似ていました。
2007年度 (第7期) 「いきおい10割」
スローガン考案 : 02003 エンブレム考案 : 01018 2006年の「いきおい」そのままに、「息」を「追う」デザインの第7期のスローガンとエンブレム。その「いきおい」は留まることを知らず、初の科目外活動として長岡市での結婚披露宴に余興演奏で出演、5周年記念から1年遅れるも「楽団うちの大学創立六周年記念誌」を発行、そして楽団合宿を開催しオリジナル曲2作目「きみとうちのそら」が誕生しました。最終的に楽団の意思を決める立場・役割である楽団長・副楽団長・マネージャーの三役運営陣体制が始まり、また活動後に一連の活動動態について文面で記録し反省を次の活動へつなげる「紫章会」を開設しました。「手さぐり」「手づくり」の部分を大切にしながら、楽団運営というハード面の整備が進むことで各種役割の分担・明確化も進み、初の訪問演奏会や余興演奏出演など、数々の新規活動が実現しました。
2008年度 (第8期) 「あなたに 響かせたい」
スローガン考案 : 01018 02003 他 エンブレム考案 : 01018 ある活動企画の折衝で行き詰り、寺尾キャンパスで徹夜で打開案を模索していたメンバーに突然降臨したこのスローガン。真正面から気持ちを伝えれば、演奏そして想いは必ず相手の心に響く - - - 強い決心で決してあきらめないこと、逃げ出さないこと、信じること…(大事MAN?) ピンチをチャンスに、苦境を笑いに変える楽団の「得意技」は、ここが原点だったのかも知れません。初めての大型独自企画(=旧「第1類活動」)となった「楽団結婚式」では、音楽と仲間で心を動かし感動を演出することの素晴らしさを実感し、この期を代表する楽団活動になりました。2008年は北京オリンピックの開催年であったことから、五輪意匠をヒントにこのエンブレムが完成しました。 五輪に1輪足りない四輪「足リンピック」2060年大会開催都市に内野町が立候補し、楽団はその招致活動を応援しました。
2009年度 (第9期) 「“内”の から“外”へ! 」
スローガン考案 : 03025 エンブレム考案 : 01018 この頃になると、全く楽団(員)に縁が無かった演奏者がうちの大学の活動を知って「入ってみたい」という、いわば飛び込みでのそれまでに無い“新星楽団員”が次々に誕生しました。同時に、楽団の限定的・排他的=「内輪同士での盛り上がり」が負の側面として指摘・問題視され始めたのもこの頃です。そんな中、“内”だけに留まらない“外”への展開を目指したスローガンで第9期は始まりました。活動では、ラオスに学校を建てる「ラオスクールプロジェクト」協賛演奏活動をきっかけに かとうふぁーむ様、前年に続いての再演奏となった新潟十字園様、初の下越バンドフェスティバル出演など、“内”の から“外”へ新しくそして大切な活動先を開拓しました。そして貪欲に演奏機会を求めるがあまりに、上新栄町(十字園)で演奏終了→[16人 演奏舞台ごと大移動]→内野駅前(内野まつり)で演奏開始…これをわずか30分で完遂させるという過激なミッションもありました。また、過去に楽団を彩った元楽団員(録籍生)の復帰(復学)や、楽団を超えて収録・作製された「きみとうちのそら」アルバムCDの発売など、「“外”から“内”の(大学)へ」の発展もありました。エンブレムは、「そ」が10個で「そと(へ)」です。
2010年度 (第10期) 「あの人の笑顔に会いに行こう!」
スローガン考案 : 01012 エンブレム考案 : 01018 楽団内に「笑顔の楽団」という共通認識が広がり始めた2010年。楽団の意匠(校章)でもある「 i 」が2つ、「 i i 」( あいに)が15個(いこう)で「笑顔に会いに行こう」のスローガンが入ったエンブレムです。かつて楽団が患った“しこり”も、言葉と演奏によって「和解」ならぬ「奏解」したのは まさに笑顔のチカラによるものでした。また、「やくると365」や「解散基準」、側夏ラウンドなど 運営陣は「笑顔をつくる」・「笑顔をつなげる」・「笑顔で終わらせる」ために、楽団についての思想を深めながらその仕組みを作り上げていきました。楽団員(主体者)・運営陣(主導者)・事務(補助者)としそれぞれの役割・立場を明確にし、この三者間に紫章会(調整機能)を置くチェック&バランス型の楽団体系が確立され、翌年の創立10周年に向かって楽団全体で突き進みました。全国高校サッカー選手権の西高応援帯同演奏、そして初のアンサンブルコンテスト挑戦で西関東大会銀賞受賞、「うちの大学」をきっかけにたくさんの人、音楽、場所に「笑顔の出会い」がありました。
2011年度 (第11期) 「心繋げてはじまる未来へ」
スローガン考案 : 03025 エンブレム考案 : 01018 念願の「創立10周年」を迎える第11期。5月のラ・フォル・ジュルネ新潟出演から始まり、さらに大舞台での活動機会を増やしました。6月には役員選挙「三役選挙」が行われ、初めて投票により信任を確認された副楽団長・マネージャーが誕生しました。10回目の創立記念日 8月20日には楽団創立10周年記念パーティーが催され、「いつまでも 笑顔の花を咲かせます」の「10周年宣言文」が採択されました。これに加え、07年事務策定の限定運用案「10プラン」に代わる運営陣主導で新たな楽団づくりを進める新成長戦略「いちごい〜ちえ」の構築を決めるなど、楽団の「これまで」を「これから」へ変える=未来志向型として無限大の可能性を秘めた楽団への転換点になりました。この他にも新潟県アンサンブルコンテストに2年連続・下越バンドフェスティバルに3年連続出場などの活動実績を重ねつつ、エントリー抜き杯「エヌカップ」開催、「にんじむACTION」「あほうけ」「10年タイムカプセル」など内発的な企画・生産を行いました。10周年記念に制定うちの大学校歌第一番の歌詞の通りに「文化を創り、仲間を愛す」楽団のさらなる発展に胸を躍らせた第11期でした。
2012年度 (第12期) 「UCHIDAI 決心!CHALLENGE 2012」
スローガン考案 : 01011 エンブレム考案 : 01018 第12期エンブレムは、運営陣の力強いメッセージ「決心」の二文字を基本にして、「うち大(一大)決心で大輪の花を咲かせる」想いを込めてデザインされました。この頃になると活動の度に運営陣と最中局(旧事務)の二者での足並みが揃わず、楽団運営・活動で大小数々の弊害が出始めました。11月、白根学習館ラスペックホールにおいて初の演奏会を開催しました。この演奏会は前年11月に運営陣内で発案・企画で発表され、新成長戦略「いちごい〜ちえ」と共に それまでとは異なる最中局を排して運営陣で取り組む画期的・前進的な活動企画でした。しかしその後の具体的な企画・準備の進展は無く、お蔵入りする直前の状況に陥りました。急転直下、わずかひとつのそして偶然の「決心」をきっかけに、開催予定日まで残り3ヶ月を楽団員・運営陣・最中局の楽団総力・短期決戦で開催・成功を目指すことになりました。楽団うちの大学にさまざまな役割・立場・状況で係わるひとりひとりの決心と努力の結晶で、演奏会「題名の決められない音楽会」は心を決める・心で極める大成功に終わりました。
2013年度 (第13期) 「ARTかたづけ 2013」
スローガン・エンブレム考案 : 01018 前年の演奏会後、その準備過程や事前・事後での意思対応の相違から 、「その場しのぎ」の運営陣と「現場に不在」の最中局の溝は決定的になりました。後の活動の準備工程でも、運営陣と最中局は最小の接点に限定した関係に終始し膠着状態が続きます。そんな中でも数少ない希望であった新成長戦略「いちごい〜ちえ」と、楽団意思決定権「ウンタス」を有す運営陣はそれぞれ時限により消滅し、多くの期待と数々の仕組みによって6年続いた運営形態が終了しました。運最間が関わることで「失う、劣化する、悪化する、落胆する」という散々な結果、しかしここから学ぶことは多くありました。そしてそれまでの共存共栄・全体成長路線を放棄し、それぞれの活動・作業分野に極力他者が関わらない「発展的分離・円満分割」が 現状での理想形として活路を開くことになります。それを強く推し進める「ARTかたづけ」の開始によって、それまで停滞・硬直化していた楽団は一気に動き出しました。目指すは「だれにもちょうどいい楽団」。廃止、処理、一掃、断捨離…楽団のスリム化がこんなにも軽快で明るいものだとは、これまでが重く暗すぎた反動でしょうか、行き着いた先は全ての楽団員にとって心地よい結末です。以後 記録化はされていませんが、もちろん演奏活動は続いています。
2014年度 (第14期) 「もんく、いうもん」
スローガン・エンブレム考案 : 01018 その「もんく」、おいしくいただきましょう!
スローガン・エンブレムとともにいろんなことが、ありました! そしてこれからも、いろんなことがあることでしょう。それもまたのおたのしみ♪ |